歴史を変えた「音なきピッチ」の〝闘将〟、激戦の代償で右肩手術…「負けない」 デフサッカーW杯準優勝の主将GK伝える「熱」

歴史を変えた「音なきピッチ」の〝闘将〟、激戦の代償で右肩手術…「負けない」 デフサッカーW杯準優勝の主将GK伝える「熱」

聴覚障がい者がプレーする「デフサッカー」の男子日本代表が昨年、マレーシアで開催されたワールドカップ(W杯)で過去最高の準優勝に輝いた。チームを統率したのがGKで主将の松元卓巳(34)=福岡県宇美町在住。選手全員が補聴器を外すため「音のないサッカー」と呼ばれる競技で、守護神はピッチで「声」を出し続けた。仲間に「熱」を伝えるため―。

生まれつき両耳に障がいがあった。小学3年から補聴器を付けて同町のチームで健常者とサッカーに親しんだ。GKを志したのは「サッカー日本代表の川口能活さんに憧れたから」。強豪の鹿児島実高でも練習に明け暮れた。現在はあいおいニッセイ同和損保に所属しながら、全国で講演をして競技の〝スポークスマン〟となっている。

17歳でデフサッカー日本代表に初招集され、34試合に出場。なかなか結果を残せなかった代表は、聴覚に障がいのある監督が初めて就任してから選手との意思疎通が円滑になった。さらに昨年からサッカーの代表と同じユニホームに。「そりゃ、モチベーションが上がります」と笑顔を見せる。

W杯に向け、チーム最年長となった松元が主将に指名された。メンバーには普通学校出身も、ろう学校出身もいる。一体感を生み出すため、初戦の前日、主将の発案で全員が集まり、一人一人のチームへの思いを手話でスピーチした。

「熱い素顔が分かって、みんな涙が止まらなくなった。最後には『なんで大会前から泣いているんだ』と笑い合いました」

一致団結した日本はそれまでの最高成績だった8強を大きく上回った。松元は再三の好セーブに加え、最後尾からの声でチームを鼓舞。「確かにみんなには聞こえません。でも熱量は伝わるんです」。その姿は〝闘将〟と呼ばれた川口さんをほうふつさせた。

次の目標は2025年の東京デフリンピックでの金メダル。だがW杯の2週間で7試合にフル出場した中で右肩を痛め、昨年末の検査で腱板(けんばん)断裂の重症と判明した。今年1月に手術予定。本格復帰まで半年近くかかる。それでも「負けない」。プレーはできなくても合宿には参加する意向。ジムでは肩に負担をかけないトレーニング法を模索した。〝闘将〟の本領発揮はこれからだ。
(中野剛史)

デフサッカー「デフ」は英語で「聞こえない人」の意味。基本的なルールは健常者のサッカーと同じだが、試合中は全員が補聴器を外すことが義務づけられており、選手はアイコンタクトや手話で意思疎通する。国際大会などでは審判は5人制となり、旗を使って合図を出す。聴覚障がい者はパラリンピックの対象ではなく、デフリンピックが世界的スポーツ大会。2025年11月の東京大会では、男女のサッカーは福島県のJヴィレッジで開催予定。男子のデフリンピック最高成績は12位。代表の試合前は手話を交えた国歌斉唱を行う。

松元卓巳(まつもと・たくみ) 1989年8月7日生まれ。福岡県宇美町出身。小学3年でサッカーを始め、高校は名門・鹿児島実へ。高校1年時にチームは全国高校選手権で準優勝した。2年時にデフサッカー日本代表に初招集され、九州共立大でもプレーした。現在もサッカーとデフサッカーのチームに所属。普段は大学のサッカー部の練習に参加している。身長174センチ。家族は妻とペット。「あいおいニッセイ同和損保」の障がい者アスリート社員として、全国各地で講演活動も続けている。

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