発達障害の名医が証言「発達障害の誤診、過剰診断、見落としが多すぎます!」

発達障害の名医が証言「発達障害の誤診、過剰診断、見落としが多すぎます!」

安易な投薬が生む薬物依存、患者の人権を無視した隔離・拘束など、精神医療がらみの信じられないニュースが連日メディアを騒がせています。日本の精神医療は、薬にばかり頼った結果、脱出困難な袋小路に入り込み、史上最大級のピンチに陥っています。そんな中、薬物治療偏重の大波にのまれながらも踏み止まり、患者の「こころ」と向き合い続けた名医たちがいます。今回は、発達障害を中心に診療する精神科医、原田剛志さん(パークサイドこころの発達クリニック院長)にお話をうかがいました。

※本記事は佐藤光展の『心の病気はどう治す?』から抜粋・編集したものです。

患者数の不自然な増加 多すぎる発達特性の誤診
福岡市民の憩いの場となっている大濠公園の近くで、パークサイドこころの発達クリニックを開いている原田剛志さんは、発達障害を中心に診る精神科医です。児童精神科医として子どもたちに対応し、産業医として大人の発達障害もサポートしています。

発達障害は生まれつきの特性と考えられており、不注意・多動・衝動性を特徴とするADHD(注意欠如・多動症)と、相手の考えを言葉や表情のニュアンスから読み取るのが苦手で、特定のことへの強い興味・関心、こだわりの強さなどが特徴の自閉スペクトラム症(ASD)がよく知られています。

これらは近年、患者数が不自然なほど急増し、過剰診断を指摘する精神科医も少なくありません。原田さんはさらに、「自閉スペクトラム症の特性を薄く持つ人(診断閾値下、俗にいうグレーゾーンの人)が強いストレスを受けた時に表れる症状を、統合失調症やうつ病などと安易に診断して誤った治療を続ける医者があまりにも多い」と、発達特性の見落としの多さにも憤りを感じています。こうした過剰と過少を防ぐために、原田さんは医師を対象とした講演活動に力を注いでいます。

筆者は2022年の夏に原田さんと初めて会いましたが、評判はもっと前から聞いていました。原田さんのクリニックに通う人たちを取材したことがあったからです。福岡市南区で、餃子専門店「黒兵衛」を四半世紀営む女性社長・富澤泉さんもそのひとりです。

診断で生きづらさの原因が初めて分かった富澤さん
「東京店が八王子に開店しました。ご来店を心よりお待ちしております」
2023年初め、富澤さんからうれしいメールが届きました。念願の東京進出が実現したのです。2016年の取材時に「東京でもお店を開きたい」と語っていたので、知らせを心待ちにしていました。

富澤さんには、典型的なADHDの特性があります。自閉スペクトラム症の混在による強いこだわりや感覚過敏もあります。この2つの発達障害を合併する人は少なくありません。富澤さんは、こうした特性で苦労を重ねましたが、45歳まで自分が発達障害であることに気付きませんでした。重いうつ状態に陥って原田さんのクリニックを受診したことで、「生きづらさの原因が初めて分かった」と言います。

子どもの頃は聴覚過敏が強く、騒々しい学校にいるのが苦痛でたまりませんでした。帰宅時には疲労困憊して、すぐに押し入れに閉じこもる毎日。大人たちはその苦しさに気付かず、「もっと友達と遊びなさい」「このままだと立派な大人になれないよ」などと酷な言葉を浴びせました。これで自己肯定感を削がれていたら、今の富澤さんはなかったかもしれません。しかし、多動の長所である「旺盛な好奇心」や「チャレンジ精神」が救ってくれました。

短大を卒業し、自閉症の子どもたちを支援する施設で働き始めました。障害のある人たちの生きづらさを他人事とは思えず、支援の現場に足を踏み入れたのです。発達障害の支援では、「特性を生かす」という言葉が強調されます。大事なことですが、特性を障害にさせている窮屈な社会の有り様は簡単には変わりません。富澤さんは支援の最前線で、無知からくるステレオタイプな決めつけに何度も直面しました。

「自閉症の子どもたちの就職先を見つけたかったのです。いろいろな会社に飛び込み訪問をしました。その度に浴びせられたのが、『障害者が働けるはずがない』という言葉です。何度も何度も、刃のように胸に突き刺さりました」

それでも、やると決めたらとことんやる。「こだわりの強さ」は武器にもなります。

「ならば私が、障害があっても社会で立派に働けることを実証してやる」。20代で結婚して主婦になった時期もありましたが、離婚後、以前から自覚していた鋭敏な味覚を武器に、「飲食業界で勝負しよう」と決めました。

長所を生かした餃子店で障害者雇用
福岡市内の餃子店の再建に関わって商売を学び、1998年3月、33歳の時に持ち帰り販売が中心の黒兵衛を開業。餃子に使う肉や野菜の品質へのこだわりは人一倍で、納入業者が勝手に産地を変えても鋭い味覚で見逃さず、すぐに指摘して品質維持に努めました。障害のある人の雇用にも当初から力を入れ、精神疾患の人を常に3~4人雇い続けてきました。

店を始めて間もない頃は、期間限定で出店した福岡・天神の百貨店で、社員から「障害者が作っているなんて知られたらうちの看板に傷がつく。お客様には絶対に言ってはダメだ」と念を押されたそうです。こうした障害者ヘイト社会を、富澤さんのような、逃げない、屈しない、諦めない、人たちの活動が少しずつ変えていきました。

黒兵衛で働いて約20年になる堀光輝さんは、重い自閉症のため言葉をうまく話せませんが、並外れて几帳面な特性が仕事に生きています。タレの調合量やパック詰めの餃子の数などを絶対に間違えないのです。近くに来ても挨拶しない堀さんに戸惑う客もいますが、別のスタッフが事情を説明すると理解して、常連になってくれる人もいます。

「自閉症などの重い障害があると、親も世間の目を恐れたり、過度に心配したりして、外に出すのをためらいがちです。ですが、人は人と交わらなければ成長できません。自閉症の人も働けます。働くうちに理解力なども高まっていきます。堀さんが実証してくれました。最初は可能なことから始めて、自信をつけると出来ることが増えていきます。例え失敗しても乗り越えられるようになり、ますます自信を深めて元気になります。お客さんとも親しくなり、地域の理解が深まっていきます」

黒兵衛では当初から、福祉就労の場を提供するのではなく、普通の民間企業として障害者を継続雇用して、その力を真の戦力として生かしてきました。ヨーロッパなどでは、そうした社会的企業(ソーシャルファーム)を支援する動きが活発化し、日本でも東京都が先陣を切って設立支援に乗り出しました。富澤さんは「東京の店はまだ私だけで切り盛りしていますが、近いうちに精神疾患の人たちを雇用して、障害に応じたサポートを提供しながら働いてもらうソーシャルファームに変えたい」と語ります。

発達障害の特性に苦しむ日々も
自分の特性を、人生を切り開く活力に転換できた富澤さんですが、自閉スペクトラム症の「こだわりの強さ」や「過敏性」は諸刃の剣でもあり、こころのエネルギーを大量に消費します。「あれこれ迷わず行動できる」というADHDの特性の裏には、「計画性を持てない」という特性が張り付いています。そのため金銭管理が苦手で、「もの忘れの多さ」も経営の足を引っ張ります。

餃子の名店の黒兵衛の経営者である富澤さんはこうした特性が原因のトラブルでたびたび疲弊し、うつ状態に陥ることが何度もありました。中でも、最も酷かったのが45歳の時です。当時は2度目の結婚をしていて、仕事と家庭を両立できず、周囲から非難を浴びる毎日だったと振り返ります。

トラブルがさらなるトラブルの原因に
「計画的にやれなかったものですから、頼まれると断れずにどんどん仕事を抱えてしまう。その全てを必ずやり遂げなければいけないと思い込んで働き過ぎて、どうにもならない状況に追い込まれていきました」

うつ状態は悪化の一途をたどりました。

「何もやる気が起きなくなり、動けず、生きているのか死んでいるのかわからないような感じでした。ただぼんやりとテレビを眺めていたある日、大人の発達障害の番組をたまたま見て、『私のことだ』と感じて精神科を受診しました。しかし、『発達障害は専門外』と言われて相手にされず、5ヵ所目でやっと出会えたのが原田先生です」

「『通知表などは残っていますか』と聞かれたので、母が残してくれた当時の資料をたくさん持参しました。担任の先生のコメント欄を見ると、『落ち着きがない』『集中力がない』などの言葉ばかり。これでは親も心配するはずです。心理検査の結果なども原田先生がトータルでみて、ADHDに自閉スペクトラム症の特性が合わさった発達障害と診断されました。うつ状態は発達障害の2次障害とのことで、抗うつ薬はあまり使わず、ADHDの治療を受けて劇的に回復できました」

当たり前が当たり前じゃないのが「当たり前
富澤さんは、診断を受けるまでに2度結婚しました。いずれも、発達障害のマイナス面が私生活でも足を引っ張って、長続きしませんでした。「普通は当たり前にできることが、私にはできないのです」。例えば、洗濯はこんな感じです。

「洗ったことを忘れて洗濯機に入れっぱなしにしたり、干すことはできても取り込む意識がとんでしまったりしました。だから雨が降ってもそのままで、いざ着ようとしたら見当たらない。それで外に干したことを思い出す。外の物干しがクローゼットで、そこから取って着ているような感じでした。ワイシャツもきちんと洗えないので、夫が呆れかえっていました」

それでも家族の懐が深ければ、このくらいはご愛敬で済みそうですが、最初の結婚時には家計の管理を任されたことが裏目に出て、大変なことになりました。

「サラリーマンの夫の給料が銀行口座に入ったら、私がすぐに使ってしまうのです。手取りの40万円が入った日、街で大好きな色のセーターを見つけて、20万円もするのに『40万あるから足りる』と思って買ったこともありました。セーターが特に欲しいわけではないのに、色に刺激されて衝動的に手を出したのです。こんな事の繰り返しで、次の給料日までお金が持ちませんから、私は皿洗いなどの単純作業のパートを2つも3つも掛け持ちして、朝から晩まで死に物狂いで働きました。毎日が自転車操業です。それでも反省できず、衝動買いが止まりませんでした。結局、夫に強く非難されて離婚に至ったわけです」

なぜこんなことをしてしまうのか。原田さんと出会い、答えがやっと見つかりました。多動性や衝動性を減らすADHD治療薬を服用して1週間ほど経つと、「様々な刺激や情報があふれてゴチャゴチャになっていた頭の中が、スッキリ整理された感じになりました。衝動的な行動が減って、計画性を少し持てるようになり、金銭管理もできるようになりました」。それまでは電気代などの支払日をメモしても、そのノートの記憶が別の情報や刺激の山に埋もれてしまい、延滞を繰り返したのに、服薬後は支払日を忘れなくなったそうです。

原田さんの親身なアドバイスに救われる
富澤さんは現在、インチュニブ錠を服用していますが、回復に役立ったのは薬だけではありません。行動の障害であるADHDの治療では、環境改善が何よりも大事になります。日常生活や仕事に関する原田さんの親身なアドバイスは、目覚ましい効果がありました。

「原田先生からみると、私は人嫌い病なのだそうです。確かに深い付き合いが苦手です。夫婦や親友のような関係になるとさりげない気遣いを求められますが、私には無理だと分かったので、そういう関係になるのが怖いのです」

「原田先生は、『人と接する機会をできるだけ減らす。狭い部屋に時々閉じこもって過敏な脳を休ませる。そのような対策をすれば、人嫌い病でも商売を続けられる』と励ましてくれました。店には私の代弁者を置いて、その人から従業員に伝達する方法も教えてくれました。通常は代弁者とだけ話せばいいので、だいぶ楽になりました」

「他にも様々なアドバイスを頂いています。複数の人から一度に話を聞くと混乱するので、打ち合わせの参加者は私以外に3人までにして、基本的には1対1で話す。通常のやり取りは書面やメールで終わらせる。こうすると刺激が減って能率が上がる」

「無性に買い物をしたくなったら100円ショップに行く。店に色々なものを売りに来る営業マンに対しては、話を聞く場合は『1時間1000円』とか、『必ず餃子を購入』などと要求して撃退する。そんなことまで教えてくれます」

「東京に店を出し、ソーシャルファームを目指す計画を相談した時にも、『そういうことは先駆けの時にやった方が絶対にいい』と背中を押してくれました。主治医が私の一番の理解者であることは、本当に幸せなことです。そのおかげで重いうつ状態から回復でき、アイデアや行動力という私の長所を商売に生かせています」

富澤さんは自分の目指す道を着実に歩めていますが、重いうつ状態だった時、もし原田さんと出会えず、別のクリニックで「うつ病」と診断されて抗うつ薬の漫然処方を受けていたら、今頃はどうなっていたのでしょうか。うつ状態が治らず、薬がどんどん増えて副作用が強まり、統合失調症、双極性障害、パーソナリティ障害などと診断名がころころ変わって、医原病の奈落に突き落とされていたかもしれません。そのような犠牲者は山ほどいて、著しい社会的損失が生み出されています。

原田剛志 さん
パークサイドこころの発達クリニック院長。福岡大学医学部卒。1997年、同大学精神神経科に入局し、伊敷病院(鹿児島市)などの勤務を経て、2011年、子どもの発達障害を専門に診るクリニックを福岡市内に開設。以後、強い要望を受けて成人の発達障害にも対応。著書は『日常診療における成人発達障害の支援』(共同執筆、星和書店)など。

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