男性特権を批判する自分が、自身が持つ「特権」に気づいて見えてきたこと

男性特権を批判する自分が、自身が持つ「特権」に気づいて見えてきたこと

【どーしょーるん】自分にとっての当たり前は誰にとっても当たり前とは限らない

新聞社を辞めてから、もうすぐ3年。フリーランスになったことによる生活の変化はさまざまあるが、なかでも、人前で話をする機会が圧倒的に増えた。

新聞社時代から比較的講演機会は多かったように思うが、なにせしゃべるテーマがあれこれ増えた。ときに広島について、ときにジャーナリズムについて、ときに核廃絶問題やいわゆる平和運動について。

圧倒的に増えたのが、ジェンダー問題について話をしてほしい、という依頼。この半月だけで3回。わたしは、それについての専門家でもなければ、それをメインに取材してきた記者でもない。

だが、女性が圧倒的少数である新聞社で20年近く働いてきた体験やら、固定的性別役割分担意識の根強い地方都市で暮らす中で抱いてきた違和感やらについて触れながら、「平和ってなんだろう」というような話をしていたら、色々なところからお声かけをいただくようになった。

男性優位社会で生きてきて

それにしても、わたしが所属していた新聞業界は、ものすごく男性優位だ。

日本新聞労働組合連合(新聞労連)が2020年3月6日に公表した「メディアの女性管理職割合調査」によると、業界全体で、記者の女性比率は22%。管理職は、デスクやキャップなどを含めても9%弱、役員(執行役員含む)となるとわずか4%しかない。

こういう業界(組織)が、世の中で起きているさまざまな社会課題を報じる際、何をどう報じるかの判断の局面で、どうしても圧倒的マジョリティーである男性のフィルターを通すことが必須となる。そんな世界では、マチズモ(男性優位主義)の塊のような報道が主流となり、女性目線の報道は傍流扱いとなる。

そしてわたしが今暮らしている広島という地方都市もそうだ。

広島県議会の女性議員比率は13%弱と、全国の地方議会の女性議員比率17%(2023年8月26日付日本経済新聞デジタル版より)を下回る。広島市議会は直近の選挙で大きく増やしたが、それでも19%と2割に満たない。県内23市町に女性首長は1人もおらず、地元紙が元日の新聞に折り込む、経営者の新春インタビューの広告特集を見ると、ずらりと並んだ148人のうち、女性はわずか3人、比率にしてわずか2%にとどまる。

先月のこの欄で、わたしは広島県の人口流出(転出超過)が、3年連続で全国ワースト1位であることについて言及した。若い女性を中心に流出に歯止めがかからない理由は、こうした、どこもかしこも男性だらけの同質的な空気感も大きく影響しているように思えてならない。

(参考)全国で最も人口が流出している広島のまちに何が足りないのか

ジョリティー側の論理で物事が決められていく社会について問題提起しつつ、医大の入試で女性が減点されていた問題、都立高校の入試で男女別で定員が設定され、女子の方が高得点を出さないと合格できない理不尽についても触れながら、それはもはや「男性特権」でしかないではないか、というような話もしてきた。

講演の“聴衆”は聴覚障害者、そのとき気づいたこと

そんな中で先日、自分自身の特権性に痛烈に気付かされる出来事があった。聴覚障害者の団体から、ジェンダー問題についての講演を依頼されたのだ。

かつて取材した方がその団体に所属しており、その縁で、その団体が定期的に開催している講座での講師を依頼された。取材時は、筆談を交えてあれこれお話を聞いた。

だが、講演となると、どうしよう。いつもわたしは、マイクを使って口述で話をする。しかし、それでは参加者たちにちゃんと届かない。恥ずかしながら、それまで聴覚障害のある方から講演依頼を受けたことがなく、正直どうすればいいのか戸惑った。

ちょうどその頃、とある仕事仲間から、ともに参加するあるトークイベントについて、主催者側に情報保障について問い合わせてみた、という話を聞いた。こんな内容だった。

知人のろう者の人が、催しやセミナーのたびに情報保障があるかどうかを主催者に問い合わせるのに心底疲れてしまった、情報保障が無理でも、それを必要とする人はどうぞお問い合わせください、と告知文に一言書いてあるだけでかなり違うのだが、というような思いを吐露していた。だから、今回参加するイベントで、もしなんなら自分が情報保障のお手伝いしてもいいのだが、と申し出た――。

自分自身も特権の側にいた

情報保障? 手話通訳なら知っているし、時々臨席する首長や役所の記者会見などでごくごく一般的になっている。だが、「情報保障」という言葉は正直、馴染みがなかった。

具体的に、どういうことなんだ? 自分の無知を恥じつつ、自分なりにあれこれ調べてみた。

情報保障とは、聞こえない人や聞こえにくい人に対して、情報が伝わるように、別の手段を用意すること、という。聴覚に障害がある人=手話通訳か字幕でしょ、と思っていたのだが、それを調べていくうちに、要約筆記ということについて考えた。

その4文字は今まで何度も目にしてきたことがあるのに、それが実際に具体的にどういうことなのか、まるでわたしはわかっていなかった。わたし自身がそれを必要としていないから、それがどれくらい大切なことなのかを考えたこともなかったのだと思う。

力を借りないと伝えることができないわたし

講師に招かれた団体からはほどなく、当日「要約筆記が入ります」との連絡があった。要約筆記者の方が補助に入る講演で、「話」をする講師のわたしは具体的に何を準備すればいいのだろうか。尋ねると、お話しする内容のテキストを可能な限り事前に提供してほしい、ということと、スライド投影をするかどうかを教えてほしい、ということだった。

文字がたくさん載ったスライドを事前に提供した。これを元に、ゆっくり話をすればいいということなのかな、と思ったが間違いだった。

その、文字だらけのスライドをそのままスクリーンに投影したとして、そのスクリーンの横には、要約筆記の内容が投影される別のスクリーンがある。参加する人たちは、そのスクリーンを両方見ながら、話を理解することになる。つまり、視線が2つのスクリーンを行ったり来たりする。だから、できるだけ要約筆記ではない方のスライドには、文字情報を載せないでほしい、ということだった。

誰かの話を自分が聴くときの聴き方とまるで違う。でもそういうやり方によって話を「聴く」人たちがいる。そういう状況に自分が身を置くまで、その世界をまるでわかっていなかった。

当日は、広島市要約筆記サークル「おりづる」のみなさんにお世話になった。なんと4人もの方がきてくださっていて、なんだか気恥ずかしくなった。

文字資料をほとんどゼロにした、写真やグラフなどのみに絞ったスライド資料を用意し、要約筆記のスピードを常に確認しながら、可能な限りゆっくり話をした。「おりづる」のみなさんの協力があったことで、いつも通りの内容のお話をすることができた。

ちょっとの工夫、ちょっとの想像力

終了後、「おりづる」の皆さんに重ねて感謝の言葉を述べつつ、この際色々と尋ねてみた。4人が2組に分かれ、10分交代で作業していたこと、かつては手書きでやっていたが、今はパソコン利用が主流だということ。単にタイピングが速いだけだと、投影される文字数が多くなって目がついていかないから、スピードではなく、短くわかりやすく要約することが肝心だということ――。

人の話を耳で聴く。それを当然のことと考えてきたわたしのこの感覚は、決して「普通」のことではないのだと悟った。

要約筆記入りの講演は、健常者にとってもむしろ普段よりわかりやすくなりこそすれ、理解を困難にするものではない。強いていうなら、規定の時間内で話せる情報量は減るが、その部分は話す側の工夫でどうとでもなる。

ちょっとの工夫、そして何よりちょっとの想像力によって、情報から取り残される人を減らすことができる。

自分にとっての当たり前を疑う

マジョリティーの側に属していることによって、たまたまマジョリティーの側の一員として生まれてきたというだけで、努力の結果でなく得ることができる優位性、勝手に享受できる恩恵がある。おそらくそれが「特権」。わたしは、健常者特権に甘えていたのだ。

ジェンダー平等とはなんだろうという話をしながら、障害者への情報保障とは何かについて考えた。まずは自分の中にある特権に気づくこと、そして自分の当たり前が、当たり前でない人がいるということに気づくことから、始まることがあるのだと学んだ一日だった。

【宮崎園子】
広島在住フリーランス記者。1977年、広島県生まれ。育ちは香港、米国、東京など。慶應義塾大学卒業後、金融機関勤務を経て2002年、朝日新聞社入社。神戸、大阪、広島で記者として勤務後、2021年7月に退社。小学生2人を育てながら、取材・執筆活動を続けている。『「個」のひろしま 被爆者 岡田恵美子の生涯』(西日本出版社)で、2022年第28回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞受賞。

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