『サンデー毎日』10月15・22日号の映画評のページで平辻哲也さんが「秋公開の邦画最大の衝撃作で問題作」と書いている。
その石井裕也監督の映画『月』が10月13日、新宿・バルト9、渋谷・ユーロスペースほかで全国公開される。相模原障害者殺傷事件を素材にしたものだ。
原作は、辺見庸さんの小説『月』だが、映画は原作そのままでなく、石井監督のオリジナル作品と言ってよいもので、脚本も石井さんが書いている。
(中略)
「さとくん」に障害者の恋人がいたという設定
――石井監督は映画『月』の脚本も書かれているわけですが、この映画を最初に観た時に驚いたのは、相模原事件の植松死刑囚をモデルにした「さとくん」に聴覚障害の恋人がいたという設定でした。
石井監督にお会いしたらまずそれについてお聞きしたいと思っていました。
あれはどういう発想から設定されたのでしょうか。
石井 原作の辺見庸さんの『月』の中に、ナイジェリアの避難民のウマラちゃんという貧しい男の子が登場して、事件前にさとくんが同情して寄付をする描写があるんです。
これが発想のきっかけですね。
さとくんは、ある対象に対して「生きる意味がない」と判断するのですが、障害者でもその範疇に入らない人もいる。
彼の不寛容さを描くにあたって、どこに寛容さを示すのか明確にしておきたかったという思いがあります。
彼は「心のない人は生きる意味がない」というわけですが、障害者であってもそう考えない対象もあった。
まあそのほかにも意味はあるのですが、一番大きいのはそこですね。
――事件当日の朝、出かける時にさとくんは彼女にハグをして自分の気持ちを伝えるわけですが、耳が聞こえないので彼女は理解できない。
あそこは大事なシーンですね。
石井 彼女はろう者なので、耳は全く聞こえない、視覚的にしか人の想いを捉えられません。
犯行に向かうさとくんのことばを彼女は理解できなかった、ということです。
――映画は、宮沢りえさん演じる主人公の女性作家が障害者施設に入り込んで、「重度障害者に生きている意味はあるのか」というやりとりに直面し、人間が生きていく意味を問うていくわけですが、実際に起きた事件と原作の『月』と両方をベースにしているわけですね。
石井 そうですね。いちど辺見庸さんによって解釈されたものをさらに解釈している、という言い方が多分正しいと思うんです。
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