横山 由紀子 産経WEST | ライフ
作家、小川洋子さんの新刊小説『耳に棲(す)むもの』(講談社)は、耳の奥底に広がる異世界などを描いた5編の短編集。耳の中の音楽隊にペットのドウケツエビ、大切に持ち歩く古いクッキー缶、死んでも朽ちない小鳥のくちばしと爪…。奇想な心の深層に分け入るような不思議な物語だ。
![小川洋子さん](https://cdn.shopify.com/s/files/1/0639/5520/6382/files/2024-12-03_102008_480x480.jpg?v=1733188948)
VRアニメから
今作が生まれた背景には、小川さんが原作を担当し、アニメーション作家の山村浩二さんが監督を務めたVRアニメ作品「耳に棲むもの」がある。耳の奥の不思議な世界が印象的に描かれた作品で、カナダのオタワ国際アニメーション映画祭2023のVR部門で最優秀賞を受賞するなど注目を集めた。今回の短編集は、そこから派生した「もう一つの物語」だ。
![VRアニメ作品「耳に棲むもの」](https://cdn.shopify.com/s/files/1/0639/5520/6382/files/2024-12-03_102107_480x480.jpg?v=1733188948)
小川さんは、「耳という肉体的、具体的な入り口から入ることで、抽象的で曖昧な心の世界にたどり着けるのではないかと思った」と語る。主人公は、補聴器を販売するサラリーマン。幼少期、最初にできた友達が耳の中に棲む音楽隊だった。バイオリン、チェロ、ピアノ、ホルンのカルテットが耳の中で演奏を繰り広げ、またそこには、ペットとして飼っていたドウケツエビもいた。いわば、幼少期の子供が持つとされるイマジナリーフレンドだったのだろう。
長じて補聴器販売の仕事に就いた彼。「閉じ込められているものに愛着を感じる」といい、補聴器は、耳に蓋をして奥にある大切なものを守ることができる道具だという。
記憶のかけら
短編「耳たぶに触れる」では、仕事で各地を巡る彼が、大切に持ち歩いている古いクッキー缶に焦点を当てた。缶の中身はダンゴムシの死骸やビー玉、ビールの王冠、コイルの切れ端など「忘れられたものたち」だ。小川さんは、「世の中の出来事は大抵忘れ去られていくし、一個人の記憶ははかないものだけれど、その記憶のかけらというか、象徴みたいなものが、化石のように実は世界を形作っている」と話す。
短編「今日は小鳥の日」は、そんな彼が会員として所属する小鳥ブローチの会が舞台。会員たちは公園などで小鳥の死骸を探し出し、腐敗しても朽ちずに残っているくちばしと爪を使って小鳥ブローチを作る。それは、誰にもみとられず、ひっそりと姿を消し、微生物に分解される小鳥たちの死を、形あるものとしてこの世に刻み付ける神聖な行為だという。
「世界のどこかで、小鳥ブローチの会なるものが開かれているのかもしれない。そんな想像力を持っていたほうが、自分のちっぽけな人生も多少は豊かになれる気がする」と小川さん。「誰も見向きもしない単なる石ころみたいなものの中に、実はかけがえのないものが凝縮されている。それを読み解いていくのが作家の仕事だなと思う」
全編を通して、耳の奥や缶など、「閉じた世界」に存在する普遍的な「記憶」がテーマとして浮かび上がる。それは、記憶が80分しか持たない数学者を描いた『博士の愛した数式』や、記憶狩りによって消滅が進む島を描いた小説『密(ひそ)やかな結晶』など、これまでの作品世界にも通じるものだ。
孫と過ごす日常
そんな小川さんは、近くに住む長男夫婦が共働きのため、時々6歳と3歳の孫を預かって世話をしている。「息子が小さかったときは、好きな時間に好きなだけ小説が書けたら、どんなにいいだろうと思いながら育児をしていた」そうだが、今は余裕を持って孫の世話をすることができる。「いい小説が書けようが書けまいが、小さな命の重さに比べれば大した問題じゃないじゃない」
孫と一緒に近くの川でカニを捕まえたり、畑の野菜を採ったりするかけがえのない日々。「そんな日常にまみれることと、創作という別世界を旅することが、私の中で無理なく共存している」と語った。(横山由紀子)
おがわ・ようこ
昭和37年、岡山県生まれ。早稲田大第一文学部卒。63年、「揚羽蝶(あげはちょう)が壊れる時」で海燕(かいえん)新人文学賞を受賞しデビュー。平成3年『妊娠カレンダー』で芥川賞、16年『博士の愛した数式』で本屋大賞を受賞。小説『ブラフマンの埋葬』『ミーナの行進』『ことり』『琥珀(こはく)のまたたき』『掌に眠る舞台』など著書多数。海外で翻訳された作品も多い。
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