「わくわくが止まらない」 強豪野球部に難聴選手 「元気」武器に

「わくわくが止まらない」 強豪野球部に難聴選手 「元気」武器に

一緒に入部した1年生部員たちと一緒に、全力で素振りする川原成翔選手の写真
一緒に入部した1年生部員たちと一緒に、全力で素振りする川原成翔選手(中央)=福井県敦賀市の敦賀気比高グラウンドで2024年4月17日午後5時51分、高橋隆輔撮影

甲子園で全国制覇経験もある強豪、敦賀気比高野球部に今春、難聴を抱える川原成翔内野手が入部した。ハンディをものともせず、実力で狭き門をくぐった川原選手は、「同じ難聴の人に元気を与えられる選手になりたい。誰かのために野球をやれば、結果も変わってくる」と意気込む。

川原選手は大阪市出身。小学4年時に学校の健診で聴力低下が発覚し、6年時からは補聴器が必要となった。原因は不明で、今でも高音が聞き取れなかったり、声が音として聞こえても、意味を理解できなかったりすることがあるという。

ただ、野球においては「難聴を不利だと感じたことはない」と川原選手は言い切る。補聴器は雑音も増幅するため、「余計なことを考えないように」と、プレー中は装着しない。守備や走塁時には、声による指示で動くことが求められるが、「何を言われるか予測していれば聞き取れる」とこともなげだ。思い切りの良い打撃が持ち味で、中学時代はプロ野球・西武で本塁打王6回の中村剛也選手を輩出した名門チームで4番を務めた。

進学に当たっては、「全力で泥臭く、野球を楽しんでいるところに憧れた」と、敦賀気比を希望。視察した川下竜世コーチ(30)が「野球に対する一生懸命な姿勢が良く、厳しい練習に取り組む覚悟もしっかりしていた」と評価し、強豪への道が開けた。

上級生たちは、温かく迎える準備を整えていた。知人を通じて面識のあった米田涼平選手(3年)が、前もって「何度も聞き返してきたりすることもあるだろうけど、丁寧に話してやろうな」と部員らに声を掛けた。練習中は、指導者の指示を周囲の部員が伝えたり、寮生活でも、話者の近くに座らせたりするなどの配慮をしている。一方で、「特別扱いはしない」。川原選手は「みんな、他の部員と同じように接しながら、心のどこかで気遣ってくれている」と感謝する。

全国屈指のレベルに飛び込んでも、「自分がこの中で3年間野球できるんだと思うと、わくわくが止まらない」と言い、不安はほとんど感じないという。母静香さん(43)は「親としては不安もあるが、厳しいことや理不尽なことも、何でも経験して立派に成長してほしい」と遠くから見守る。静香さんが「難聴な分、声は大きいですよ」と笑う元気さは、すでにチーム内でも認知されている。「一度でもいいから、甲子園の舞台でプレーしたい」という目標に向かい、3年間実力を磨くつもりだ。【高橋隆輔】

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