マジョリティが「ちゃんと傷付く」ことが社会の価値観を変えていく

マジョリティが「ちゃんと傷付く」ことが社会の価値観を変えていく

ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと

2024.11.13 公開 ポスト
『「コーダ」のぼくが見る世界』刊行記念対談
五十嵐大(作家・エッセイスト)

絶賛公開中の映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」。本作は五十嵐大さんの原作を元に、監督・呉美保さん、主演・吉沢亮さん、脚本・港岳彦さん、そのほか、ろうやコーダの当事者である俳優陣、スタッフによって制作されました。そして、「コーダ」(聴こえない・聴こえにくい親のもとで育つ、聴こえる子どものこと)について書き続けている五十嵐さんの最新作『「コーダ」のぼくが見る世界』が紀伊國屋書店より発売。刊行記念として映画の脚本を担当した港岳彦さんとの対談イベントが先日行われました。映画化にまつわるエピソード、それぞれの当事者性について、マジョリティとはどういう存在なのか等々、いま考えるべきことについてたくさんのお話が交わされました。

※こちらの記事は、2024年9月16日に紀伊國屋書店新宿本店にて行われた『「コーダ」のぼくが見る世界』刊行記念対談を元に構成しています。

※2024年12月発行の紀伊國屋書店「scripta」no.74にもイベントレポートを掲載予定です。


本当に苦しかった過去を受け入れるために書いた

――まずは五十嵐さんから、新刊『「コーダ」のぼくが見る世界』について、簡単にご紹介をお願いします。

五十嵐 五十嵐大と申します。耳の聴こえない、あるいは聴こえにくい親のもとで育った聴こえる子どもを「コーダ」と言います。この本ではコーダがどういう人なのか、どういう時に葛藤するのか、悩むのか、幸福を感じるのか、といったことも書いていますが……僕は、現代社会のなかにある、いわゆる社会的なマイノリティとされる人たちの問題、なかでも特に、ろう者を取り巻く問題がすごく目に付くんですね。

たとえば、記者会見があったとき、現場では手話通訳士さんが横に立っているのに、ニュース映像では映されていないことがある。テレビで映像だけを見ているろう者には、必要な情報が届きません。でも、聴こえる人たちはそのことに気づかないし、字幕だけで十分じゃないかと言ったりする。

また、ろう者が出てくるドラマがヒットすると、「手話歌」がはやります。いわゆるインフルエンサーが、流行のポップスを歌いながら歌詞に手話を合わせて、それを見てファンの人たちが感動するというコンテンツです。でも、そのほとんどは聴者が聴者に向けたパフォーマンスであって、実際に手話を使って生きてるろう者のことは無視しています。それは手話を使った人気取りでしかない――いうなれば手話を「消費」している。

他にも社会のなかに、ろう者を排除するような、排除していることに気づいてすらいないような問題がたくさんある。それに対して、一人のコーダとして何を思うか。明確な答えが出せていない問題もありますが、それらについて思考する過程を書きました。

五十嵐さんの最新作『「コーダ」のぼくが見る世界』


――港さんから、本書のご感想をお願いいたしします。

脚本家の港岳彦と申します。いま、五十嵐さんから、いきなり核心部分の話が出た気がしました。感想はいっぱいありますが、手話歌について書かれた6章は、非常に強烈な印象でした。

どこから説明すればいいか……この本の中にも出てきますけど、僕は手話というものが「ろうの方が一般的な社会とコミュニケーションを図るために必要なものだ」と、漠然と思い込んでいた側の人間です。ですが『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の脚本執筆のために取材をする過程で「手話というのは言語なんだ」ということがわかってきました。

今は当たり前だと思っていますが、以前はあまりそんなふうに考えていなかった。『「コーダ」のぼくが見る世界』のなかに、「手話はいのち」っていう言葉が出てきます。こうした言葉の重さに、この映画の企画に出会うまで、全然思いが至っていなかった。

話が少し飛びますが、「ろう」というのは、そもそも障害なのかという議論があります。手話を少数言語として捉えた時に、ろう者の置かれている状況は、たとえば、英語のできない人間がアメリカにいるような状況とあまり変わらないんだ、という主張がある。それを本当に障害と呼ぶのか? という考え方が、僕には本当に衝撃的で、そうか、手話は言語なのかって納得して。

その上で『「コーダ」のぼくが見る世界』を読むと、「手話歌」には健常者と呼ばれる人たちが手話という言語を「消費」していく、言い換えれば「言語を奪う」側面があると五十嵐さんは指摘している。

僕が連想したのは、帝国主義だった日本が歴史的にやってきたことです。かつて朝鮮半島などで皇民化政策の一環として、言語を奪っていきましたよね。母語の使用を禁止し、日本語しか使用しちゃダメだ、と。極端かもしれませんが、他者の言語を都合よくこちらのいいように扱うメンタリティには、こうした行いに通じる種があると僕は思ってしまいます。

手話歌という、ある程度善意に基づいた、いいものとされているカルチャーのなかに、まさか一つの言語を消費し、奪っていく性格があるっていうことは、ちゃんと説明されないと気づけなかった。五十嵐さんはそれを感情にまかせて書いているわけでは全然ないんだけれども、生々しい感情に乗せてはっきりと記されていて、僕がこの本のなかでいちばん打たれた部分でした。

『「コーダ」のぼくが見る世界』


――港さんが五十嵐さんの他のご著作を初めてお読みになった時の感想や、これまでの作品と『「コーダ」のぼくが見る世界』との違いを伺いたいです。

『ぼくが生きてる、ふたつの世界』をいちばん最初に読んだわけですが、仕事で、この原作で映画を作るから読んでおいてくれっていうよくある話で、何日かかけて読もうかな、という緩い気持ちでいました。それが、最初のページをめくったところからラストシーンまで、もう一気にその日のうちに読み切っちゃって。しかも真んなかとラストで号泣。もちろん、これを脚本にするっていう頭で読むんですけど、ああ、いま最高の読書体験してるなって感じながら読んでいました。五十嵐さんの心の叫びと思いが、すべてのページに満ち満ちていて、至るところで共鳴するし、刺されるし、もうとにかく心に響く。本好きの一個人として本当に胸を打つ一冊でした。

五十嵐 褒めすぎだなと思いますけど、ありがとうございます。

『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は自伝的で、自己表現、自分のために、これを書かざるを得なかったんだっていう気持ちがすごく溢れていて。自分とは何かっていうことを伝えたい思いが強い。

五十嵐 仰るように映画の原作エッセイを書いたときは、まさに自分のため、本当に苦しかった過去を、整理整頓して受け入れられるようにするために書いたっていうのが正直なところです。だから、「誰が読むんだろう、こんなの」と思いながら書いていた部分もあって、それがまさか映画になるっていうのがびっくりはしたんですけど。

そのあとに書かれた『聴こえない母に訊きにいく』という作品は、優生保護法がテーマなんですよね。自分自身のアイデンティティについてずっと語っているんですが、いかに自分が、この世に生まれたことが奇跡みたいなことなのか、歴史的観点から整理されていく本だった。

五十嵐『聴こえない母に訊きにいく』は耳が聴こえない母がどういう人生を歩んできたのかを書く上で、優生保護法という人権を踏みにじるような法律が横たわっていたことを知りました。これを誰かに伝えなきゃいけないっていう思いが強くなって、視野が広がりました。

『聴こえない母に訊きにいく』

その上で、三つ目に『「コーダ」のぼくが見る世界』が来てるなと感じました。もちろん自分のことを軸に書いているんだけれども、明らかに最初から、これは社会のために自分が持っている情報を伝えなきゃいけないっていう切迫した思いで書かれたんだなと思いました。

五十嵐 今回の本は……端的に言い表すのが難しいんですけど。たとえば、少し前に手話が出てくるドラマがはやりましたよね。聴こえない主人公を演じているのは、聴こえる人です。過去のドラマでもそう。聴こえない男の子の役を聴こえる若手俳優がやっている。それに対してSNSでは、毎回「またろう者じゃない、当事者じゃない」とろう者たちから批判の声が上がる。

一方、ろう文化とかろう者が置かれている状況を知らない人からは、「なんでそんなことを言うんだ」「もう、ろう者にかかわりたくない」みたいな乱暴な意見も上がって、対立構造になってしまう。議論が全く進んでいかないし、相手を理解しようともしていない。そもそもSNSの140字で議論なんか成立するわけないですよね。僕はそれを見て本当に残念に感じていて、それなら本のなかで丁寧に因数分解してみようと思ったんですね。

だからもしかすると、自分も含めた聴者からすれば耳が痛いような意見も主張していて、「なんでそんなことを言われなくちゃいけないんだ!」と反発されるかもしれない、とも思っています。


天才が登場しないとマイノリティの物語は成立しないのか

――『「コーダ」のぼくが見る世界』のなかでは、映像作品の制作に当事者がかかわることについて書かれていますが、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の映画では五十嵐さんのお母さん役の忍足亜希子(おしだり・あきこ)さんをはじめ、当事者の方がかかわられています。

今回の映画に関しては、五十嵐さんの側からできる限り当事者の方がかかわるようにしてほしいっていうようなお話があって、早い段階で決まっていました。監督の呉美保(お・みぽ)さんは関西人で、エセ関西弁とかも、本当に嫌みたいで(笑)。だからかどうかはわかりませんが、できるなら当事者の人がやるのは当たり前だっていうのが前提でしたね。

――そういった、映像制作の現場に当事者の方が参加すること、あるいは、お二人が作品を手掛けられる時にマイノリティを描く上で意識されていることはありますか。

脚本というパートだと、キャスティングや、撮影現場に関しては全然関与しないんですが、僕個人に関して言えば、弟が重度知的障害で、三歳児ぐらいの知能しかないっていう感じなんですね。そういう人の役が出てくるドラマとか映画は、笑っちゃって見ていられないんですよ。大体、なぜか天使のような(無垢で純粋な人物として)描かれるんですが、全然そんなじゃないやろっていうのが実感としてあるので、それに対するアレルギー的な反発がものすごくあります。

ただ、知的障害者を実際にキャスティングするとなると、どれぐらい本人が演技という概念を理解した上で出ているのかを見極める必要があるから、ちょっと別の問題になるので置いておくとして、やっぱり、嘘っぽいのがとにかく嫌だ。それが一番強いです。五十嵐さんが新刊のなかで、映画「コーダ あいのうた」の話についても書かれていて、あれも本当に素晴らしい映画ではありますけど。

五十嵐 コーダの主人公に、天才的な歌の才能があるという物語ですよね。ろう者の役に当事者を起用して、アカデミー賞の三部門を受賞して話題になりました。

非常に革命的なことを成し遂げた映画だとは思いつつ、天才児が出てこなきゃダメなのか、音楽の才能に満ち溢れた人が出てこないと、こういう話は成立しないのか? という違和感が正直あった。だから五十嵐さんの原作を脚本にする上では、「コーダ あいのうた」を観たときの違和感を、こっちでは払拭するぞって気持ちがすごく強くて。……ご本人を前にしてなんですけど、決して五十嵐さんが天才ではないっていうことを強調したかった。(笑)

五十嵐 そう、映画を見た人が「コーダ あいのうた」と比べて、「ぼくが生きてる、ふたつの世界」の主人公は何の才能もないパッとしない男だって評していて。

(会場笑)

五十嵐 この映画の主人公は原作者である僕自身なので、つまりは僕がパッとしないっていうことだよなと思って面白かったんですが、でも、それがリアルですからね。コーダとして生まれた、なにか秀でたところがあるわけでもない男が、アイデンティティを模索していく過程を描いたわけですし。

五十嵐さんに才能があることは言うまでもないことで、僕としては、あくまで映画の中の造形としては、凡人らしさを強調したかったんですよね。自伝なので、当然、映画でも最終的に物書きになるんですが、こういうストーリーの場合、幼少期から本の虫だったとか、すっごい文章の才能があるとかいうエピソードを積み重ねていくんです。今回の映画では、徹底的にそれをやらないことにした。そうしないと、「やっぱり障害のある家族のなかは大変だから、そこから脱却するには才能がないとね」みたいな、偏見を強化するお話になっちゃう。

五十嵐 そもそも、障害者のいる家はなんか特別なものっていう目線があるじゃないですか? 親が変わっているとか、こういう人たちは何もできないっていう負の見方がある一方で、障害のある親のもとに生まれた子どもには、きっと才能や運命があって、苦難を脱却していくはずだっていう見方もまた、特別扱いなわけですよね。それはすごく気持ち悪い。

たいていの人は才能なんてないし、平凡に暮らしているわけですよ。僕だって、たまたま本が出せて、それが映画になったけれど、いたって平凡な人間です。

おかしな話なんですよね。なんでそんな世界観になっちゃうの? って、僕自身も障害者のいる家庭で育っていて、才能なんかない、普通の人として生きてきた実感があるので。なので、そういう部分をすごく強めたっていうのは、映画の、ぜひご覧になっていただきたいところですね。

五十嵐 まさに僕自身が、夢も希望もなくて、本当にパッとしない20代だった。だけど、それなりにやれることを見つけてコツコツ頑張っていこう、と思いながらなんとかやってきたわけで、それがリアルじゃないですか。今回の映画は、耳が聴こえないお父さん、お母さんを特別に描いていないだけじゃなくて、主人公のことも特別扱いしていない。どこにでもいる普通の人だよねっていう描き方をしてくださっているので、そこが、他の作品とちょっと違うところだと思います。


「傷ついた」という声に反発してしまう理由

――五十嵐さんが港さんの脚本を、初めて読んだときの感想はいかがでしたか?

五十嵐 脚本になる前の段階のプロット(構成)を読んだ時に、プロってすごいなと思いました。何万字も使って書いた文章を、2時間の尺に収めるためには取捨選択も必要ですし、根幹部分が変わらなければエピソードも改変してかまいませんとお伝えしていたのですが、アレンジを含めて「あの原作が立派な映画になってる!」っていう感動があって。

改稿された脚本が送られてくるたびに読んでは、毎回胸が熱くなっていました。でも、その段階では誰にも言えないから、この感動や喜びを誰かに伝えたいんだけど言えないもどかしさも感じていました。だから、情報解禁されたときは「やっと言えた!」とホッとするような気持ちもあって。

諸事情でシナリオに反映できなかった部分もあるし、原作に書かれていないエピソードをつけ加えた部分もあります。たとえば導入部分で、主人公の働いている職場が原作とは違うので、なぜ? って思う方はいらっしゃるかもしれないんですけど、オリジナルな箇所は、呉監督と僕が、原作のピンとくる部分を膨らまして入れていった感じです。五十嵐さんに直接お会いして聞いたネタを生かして、解釈を拡大しながらやっていきました。

五十嵐 そのオリジナルの部分でいうと、完成した映画を観てすごく衝撃を受けたセリフがあって。主人公が東京に出てきて働くことになった職場の先輩が、お酒を飲みながら自分の家庭環境を自虐するんですが、その一言が、すごく重くて。……この一言は言っちゃダメですかね?

いいんじゃないですか?

五十嵐「俺の弟は重度の精神遅滞で一生三歳児でーす」みたいなセリフがあるんです。

俺じゃん(笑)決して、脚本家が自己主張をするために入れているわけではないんですが。

五十嵐 あのセリフ、そこだけを切り取られたら、もしかしたら批判されるかもしれない。だけど、そのキャラクターが何でそれを言えるようになったのか、きっと幼少期には笑えなくって、弟さんのことで周囲から嫌なことも言われて、大人になってやっと自分で茶化しながら言えるようになった、あるいは笑いながら言わないとその場が凍っちゃうからとか、色んなことを考えてのセリフだから、文脈を考えると決して炎上するようなセリフじゃないし、よく言ったなぁって。たった一言でそのキャラクターの背景や抱えているものを想像させるすごいセリフです。

もうひとつ、映画の予告にも出ているんですが、主人公が「こんな家に生まれてきたくなかったよ」と言ってしまいます。

これは原作にも出てくるセリフですね。

五十嵐 実際に親を傷つけるようなことをたくさん言ってきたので、原作では隠さずに書きました。もちろん、そこだけを読むと、もしかしたら傷つく人もいるだろうし、お叱りを受けるかもしれないとも思って。でも、過去の自分を正当化するわけではないんですが、コーダの主人公がどうして親を否定するような言葉を口にしたのか、その理由を考えてもらいたかったんです。

なんらかの当事者が自暴自棄になり、極端なことを口にしてしまう瞬間がある。たとえば弟さんのことを茶化しながら言った彼、あるいは親に対してこんな家に生まれてきたくなかったよって言った主人公。どっちも責めているのは、障害のある弟さんでもないし、障害のあるお母さんでもなくって。 それは彼らを追い詰めている社会に対する叫びみたいなものですよね。社会の目線がもっと優しくて、あらゆる属性の人をフラットに扱ってくれたのであれば、そんなこと言う必要ない。だけど現実はそうじゃないから、苦しいけれど言わざるを得ない状況なんだと思います。

だから、今、自分も小説で書いていますけど、エンタメのなかで障害者のような社会的マイノリティとされる人たちを描くときに、「これ言っていいのかな」ってすごく迷うようなセリフはあります。校閲者から、「差別的表現です。オーケーですか?」と指摘されることもある。もちろん迷いが生じることもありますが、その表現を入れなければ追い詰められている人たちの現状が伝わらない、と思ったときは、敢えてそのままにしています。

現実にはまだまだハードルがたくさんあるのに、それを隠して綺麗事だけを書くなんてできないんです。ただ一方で、それを同じような境遇の当事者が見た時にショックを受けないかなという心配もあるので、常にそのバランスとの闘いなんですけど……港さんは、どうですか?

いま聞いていて、五十嵐さんは、それを実感レベルで他者に伝えることを作品のなかで一貫して実践しているってところが肝だなと思いました。社会を変えるための方法には研究とか法整備とか色々あってどれも重要ですけど、そのなかで五十嵐さんは、ある個人がいて、この人はこのように感じるんですよってことを、人々に言語によって伝えることを徹底してやっている。人の心に届けて、価値観を変えるという方法であり、お仕事ですよね。映像表現においてもそれができたらいいなってことをすごく思いますね。フィクションとして人間を映す映像は、日常的な肌感覚とかを他者に伝えるには、非常に便利な表現なので。

僕が近年、心掛けなきゃいけないなあと思い始めているのは、その作品のなかにおけるもっとも弱い立場の者は誰かを考えるということです。 作品のなかにおける、もっとも弱い者の価値観が、その作品全体の価値観になりえているかどうか、都度チェックしなきゃいけないと思うようになりました。

――価値観のアップデートということでしょうか。

それって、これまで潰されてきた声を掬い上げていくことというか、なかったものとされてきた声に気づいていくプロセスだと思います。表現行為でやらなきゃいけないことは、可能な限り、作品のなかに潰された声がないかどうかを作者が知っておくことじゃないかと。

わかったつもりでいても、覆されることはすごく多いです。でもそういう経験も重要だと思います。 知らなかったことを知った、って感覚を得るには、ある程度の傷が必要で、 ぼくはマジョリティ側が傷つくべきだ、と思っているところがある。傷を受けると忘れないし、価値観が変わる。傷を受けないと傷ついた者の気持ちにシンクロできないっていうか……誰かの「傷ついた」とか「辛い」っていう声を聞いたときに、なぜかかみつく人っているじゃないですか?

五十嵐 いっぱい、いますね。

すぐ言うんですよ。「窮屈な世の中になった」とか「おれたちの時代はこうだった」とか。何かというと、ふてくされたり、ムカついたりする人がいて。でも、そのムカついたっていう気持ちの根っこの部分に、傷つきも絶対あるはず。重要なのはそこかなと思います。

違う価値観に触れて、感覚や感情が動いている根っこには必ず、傷があって。傷って絶対、人の想像力を広げるものなんですよね。分断が広がっていくなかで、そういうふてくされた態度を取る人のなかにも、価値観が変わる何らかの可能性はあるんじゃないか? みたいなことを最近考えています。……なんだか大きい話になってしまいました。(笑)


人は誰しも無自覚で差別をしている

――マジョリティ側に、傷つく経験が必要なんじゃないかというお話でした。『「コーダ」のぼくが見る世界』を読んでくださった方から、ろう者を感動ポルノ的に描いた作品を楽しんで見ていたことに後ろめたさを感じるようになりました、という声がありました。五十嵐さんの作品が、マジョリティの側に立っていた人がハッとする、そういうきっかけになっているんじゃないかなと感じます。

五十嵐 自分も含めて、差別をしていない人間はいないと思うんです。この会場に来ている人も、皆さん何かしら差別をしている。無自覚でしているんです。そもそも、社会がマイノリティの人を無視してマジョリティ向けにデザインされているわけですよね。でも、それだと取り残されてしまう人たちがいて、ようやく可視化されてきた。見てみぬふりをしてきた存在に、社会全体がようやく目を向けるようになった。だからスロープを作ったり点字ブロックを設置したりと、気づいた人たちが懸命にカバーしているんだと思います。

そうやって社会構造が変わろうとしている一方で、マイノリティと出会った時に、どう対応したらいいのか戸惑ってしまう人たちも大勢います。それはこれまで、社会のなかで徹底的に隠されてきているからですよね。障害者と初めて出会ったという知人が、どう接したらいいのかわからなくて逃げ出してしまったことがあると話していたこともあります。その原因がどこにあるのかというと、やはりアンバランスな社会構造にあるのだと思うんです。

ろうのキャラクターが出てくる作品を単純に楽しんでいたけど、後ろめたくなったというのは、きっと自分が楽しんでいた作品の背景で排除されていた人の姿が見えるようになって、自分のなかにある差別を自覚できるようになったということだと思います。だけど、それってやっぱり苦しいし、認めたくないんですよ。

僕自身も、認めたくない時がいっぱいあります。だけど、まずは自分のなかに無自覚な差別意識があったんだと認められれば、次からはコントロールできるようになります。もうこういう差別はしたくない、誰かを傷つける構図に加担したくないって。 それが大事だと思っていて。

一番わかりやすいのは、女性差別の問題ですよね。僕は会社員時代に、女性ばかりのチームでリーダーをしていたことがあります。当時はなにもわからなかったけれど、いま振り返ってみれば僕よりも優秀な人がたくさんいた。それなのに僕がリーダーを任されたのは、ただ「男性」だったからかもしれない。そう思ったとき、結構落ち込みました。

でもそれを機に、性別で優遇されたり評価されたりする構造っておかしいよな、と思えるようにもなったんです。もちろん、まだまだ気づいていない問題もあると思うんですが……。賃金格差とか、就職差別とか、入試差別の問題とか、いまの時代になって、そういうものがやっと見えるようになってきたんだけど、男性のなかには、「いや、女だって得してきたじゃないか」と認めない人もいる。

それは自分が差別に加担していたと認めるのが怖いからだと思います。だけど港さんが仰ったように、傷つかないと変わらないし、傷つくことで見えるものもたくさんあると思うんです。

だから、物書きとなったいまは、この社会にある凝り固まった価値観を刺しにいくようなものを書いていきたいと思っています。

グサグサ刺してください(笑)。今、ちょっと垣間見えた、五十嵐さんのハードコアな面を、今後エンタメの領域でも展開していただけたら楽しみです。

――少し話を変えて、港さんは本書で初めてSODA(ソーダ=聴こえない/聴こえにくいきょうだいのいる、聴こえるきょうだい)という言葉を知ったと伺いました。家族のなかに障害のある人がいて、それが親であるか、きょうだいであるか。どういったところが似ていて、どういったところに違いがあると思われますか?

ソーダというか、僕の場合は「きょうだい児(障害のあるきょうだいのいる子ども)」の話になりますが、「きょうだい児」という言葉を知ったのも去年くらいです。以前「ヤングケアラー」というテーマで取材をされた時に、ピンとこなくて。

五十嵐 コーダもヤングケアラーといわれることがありますが、そこは議論がわかれています。

僕は客観的に、自分がヤングケアラーと呼ばれるものだとそもそも思っていないし、苦労したとも、あまり思ってない。だけど、他と比べた時に初めて、確かに、と思うところがある。五十嵐さんは作品のなかで、まさにそういうプロセスを描いていますよね。

最初は、自分の家庭が世界そのものだと思っているから違和感を持っていない。 そこに、たとえば友達が「お前の弟なんかやばいな」とか言ってきて、あ、やばいんだこれ、みたいに初めて気づく。嫌なことを言われたり、弟を「知らない人です」とか言って他人のふりをしたり、みたいなことが、積み重なっていくんですよね。

ただ、僕の家の場合、障害のある弟以上に、母親が血の気の多い強烈なキャラクターで、そっちの方がやばかったみたいなところがあるんですよ。弟は怒鳴ったり暴れたりするバイオレンス系障害者なんですけど、当然、僕もバイオレンスな対応を取らざるをえなくて、兄弟二人でギャーギャーやってると、さらにでかい声で母親が雷を落とす、みたいな。

四六時中、誰かが怒鳴っているのが普通な家でしたけど、僕からすると普通すぎて問題だとも思っていなかったですね。他者に対して色んなことが「恥ずかしい」と思っていたけど、それが母親のことが恥ずかしいのか、障害を持った弟がいることが恥ずかしいのかが、僕のなかでぐちゃぐちゃになっていて、実のところ、こういった自分の家族への感情を、いまだに整理できていないんです。ただ、そういうのが全て嫌で、田舎から飛び出して上京した時に、初めて障害者がきょうだいにいる人と知り合って、それが本当に救いになっていく。

――五十嵐さんが、「コーダ」という存在を知ってガラリと価値観が変わっていく体験を書かれていることと重なります。

それが本当に、よくわかって。僕も、きょうだい児の集まる会に参加すると、本当に色んな人がいて、共感する部分もあれば、まったくわからない部分もあったりして。僕の弟なんかは一目見て障害者ってわかるけれど、見た目には障害があるって全くわからないタイプのきょうだいがいる人もいる。 その人はその人なりの苦悩を抱えている。それを一つひとつ、すり合わせていくような経験をすることで、初めて自分が客観的に見えてくるというか。

だから同じようなきょうだいを持った人と知り合うのは、本当に重要です。平たく言うと、「一人じゃない」ってことを知る。それがどれだけ救いになるかっていうのは、ちょっと筆舌に尽くしがたい。それを筆舌に尽くしているのが五十嵐さんの作品なんですけど。

五十嵐 今日、この会場にも来てくれているコーダの仲間がいて、そういう仲間との関係が続いていることが本当に救いになっています。あとは、港さんをはじめとして、ろう者や手話のことをあんまり知らなかった人たちが、大人になってからでも、勉強して、理解してくれる。お仕事を通じてとはいえ、そういう人たちがこんなにたくさんいるんだって知れたことに、希望を感じます。

これも『「コーダ」のぼくが見る世界』に書かれていますけど、「当事者と会う」って、ものすごく重要なんですよね。「障害者」「健常者」って言葉自体、好きじゃないのですが、「自分と異なる他者」とコミュニケーションを取らないとわからないことがいっぱいあります。思い込みだったり、警戒だったり、いろんな必要のない感情が、分厚い壁を作っているんですよね。これは全部いらない。当事者としゃべったり、コミュニケーションを取ることで少しずついろんなことがわかってクリアになっていくから、当事者とかかわるって、いいことしかないですよ。っていうのは、本当に言いたいです。

*   *   *

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「コーダ」のぼくが見る世界
もし、親の耳が聴こえたら――なんて、想像もつかなかった。
ときに手話を母語とし、ときにヤングケアラーとみなされて、コーダは、ろう者とも聴者とも違うアイデンティティをもち、複雑な心を抱えて揺れ動く――日々の通訳、聴こえない親とのコミュニケーション、母語としての手話、手話歌や「感動ポルノ」との付き合い方、マイノリティとして生きること。作家である著者が、幼少期の葛藤や自身のなかにある偏見と向き合いながら、コーダの目で見た世界を綴る。

『「コーダ」のぼくが見る世界』


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前回:聴こえない親に、いじめられていることを相談できない理由


関連書籍

五十嵐大『ぼくが生きてる、ふたつの世界』

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ろうの両親の元に生まれた「ぼく」。小さな港町で家族に愛され健やかに育つが、やがて自分が世間からは「障害者の子」と見られていることに気づく。聴こえる世界と聴こえない世界。どちらからも離れて、誰も知らない場所でふつうに生きたい。逃げるように向かった東京で「ぼく」が知った、本当の幸せと は。親子の愛と葛藤を描いた感動の実話。


ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと
耳の聴こえない親に育てられた子ども=CODAの著者が描く、ある母子の格闘の記録。


五十嵐大

1983年、宮城県出身。高校卒業後、さまざまな職を経て、編集・ライター業界へ。2015年よりフリーライターに。自らの生い立ちを活かし、社会的マイノリティに焦点を当てた取材、インタビューを中心に活動する。2020年10月、『しくじり家族』でエッセイストデビュー。


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