「うちの子、もしかしたら発達障害かも…」「動き回ったり衝動的な言動が多かったりして、どうサポートしたらいいかわからない」「学校の勉強についていけていないみたいで心配」
子どもの発達障害はデリケートなトピックです。
そのため、あまりふれないほうがよいのかも…と遠回しにしてしまうこと、多くありませんか?
ですが、不可解な行動やイライラしてしまう言動——それらにはすべて、理由があります。
さらにいえば、あらゆるアクションの裏側には子どもたち一人ひとりの思いが隠されているのです。
今回は、発達障害の子どもたちが見ている世界について、長年、発達障害当事者と接し、臨床経験も豊富な精神科医・岩波明氏による最新刊『発達障害の子どもたちは世界をどう見ているのか』よりご紹介します。
初回の今回は、ASD(自閉症スペクトラム障害)・LD(学習障害)・ADHD(注意欠如多動性障害)の当事者の知覚世界を「家」のシーンから切り取ってみましょう。
ASDの子どもたちが「家」で見ている世界
ASDの子どもたちの顕著な特徴の1つに、「人に対する関心の薄さ」があります。
ですから、定型発達者のお子さんと比較をすると、「親しげな親子関係」は成立しにくいと思います。
さらに、ASDのお子さんは、特有のこだわりを持っていることが多いです。
事であれば、ものを食べる順番であったり、何を食べるかであったり。
整理整頓であれば、ものの置き方など。ぴったり90度でないとダメといったことがあります。
入浴であれば、清潔感が気になって、身体をすみずみまで洗うといったこだわりです。
その結果として、入浴時間が非常に長いケースも見られます。
彼らはそのような〝マイルール〟を乱されるのがすごくイヤなので、自分で決めた事柄が少しでも変わってしまうと激怒することがあります。
こういった〝マイルール〟に関連する現象として、感覚過敏の症状が挙げられます(その一方で頻度は少ないですが、感覚鈍麻が見られることもあります)。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚……五感のどこで感覚過敏が起こるか、1つだけなのか複数あるのか、どの程度の過敏なのか、などは一人ひとり異なります。
聴覚過敏の場合では、「ちょっとでも雑音が聞こえると辛くてしかたない」というお子さんがいます。
イヤーマフ(耳全体を覆うタイプの防音保護具)で外部の音を遮断している姿も、街中でときおり見かけます。
また、触覚過敏の場合であれば、「洋服についているタグが気になってしまう」というお子さんがいます。
親御さんは、洋服を入手するたびにタグを切って対処するわけです。他の感覚においても、さまざまな過敏さを示すことがあります。
「○○がイヤだ」と周囲に伝えられる子もいますが、ASDのお子さんの中には「感覚過敏に悩んでいるけど、悩みについて周囲にうまく伝えられない」という子も一定数います。
診療の過程でお子さんが感覚過敏であったことがわかり、「そこまで問題だとは思っていませんでした。すごくおとなしくて、今まで何も訴えることがなかったので」という親御さんもいらっしゃいます。
ASDが抱える「心の理論」の問題
気持ちの理解――これを心理学で「心の理論」という用語で表現することがあります。
私たちは普段「この人は今こう思っているはずだ」とか、「私がこう言ったら相手はこう思うだろう」といったことを直感的に理解しながら生活しています。
このように、「他人の考えを推測したり、意図や感情を理解する能力」を「心の理論」と呼んでいます。
ASDの子どもたちが人とうまく関われなかったり、社会でうまく立ち回れなかったりするのは、「心の理論」に問題がある、あるいは未発達であるからではないかと考えられています。
たとえば家庭内であれば、家族の気持ちを逆なでするようなひと言を口にすることがあるかもしれません。
それは「自分の言ったことが相手にどう受け取られるか?」を想像することができないからです。
本人に悪気があったり、相手を傷つけてやろうという意図はないのです。
余談になりますが、ASDの子どもたちがコンピュータと相性が良いと言われるのは「心の理論」の問題と関係があると思います。
コンピュータは傷つきませんし、何かを求めてくることもありません。
こちらのペース、指示に応じて反応してくれます。
そのため、ASDの子どもたちにとっては、生身の人間よりも快適なコミュニケーションの相手である可能性が高いのです。
LDの子どもたちが「家」で見ている世界
LDの代表的なものとして、読字障害、書字障害、算数障害の3つが挙げられます。
読字障害は、単語のまとまりから1つの単語を識別したり、1つの単語の中の音素を識別したりすることが困難な症状で、「読み」にかなりの時間がかかります。
英語では「Dyslexia(以下、ディスレクシア)」と書き、日本語で「失読症」と訳されることがあります。
書字障害は、文字や文章を書く際に困難が生じる症状です。
英語では「Dysgraphia(ディスグラフィア)」と書きます。
算数障害は、計算や推論が困難な症状です。
いずれも、「全体的な発達には遅れがないのに」という大前提がつきます。
英語では「Dyscalculia(ディスカリキュリア)」と表記します。
では、LDのお子さんたちは「世界」をどのように見ているのでしょうか?
個人差があるということを前提に解説していきます。
〈読字障害のお子さんが見ている「世界」〉
読字障害のお子さんの場合、
「文字がゆがんで見えたり、重なって見えたりする」
「似た文字を区別することが苦手」
「文中の語句や行を抜かしたり、繰り返し読んだりする」
「読み間違いが多い」
「漢字の意味はわかるのに読めない」
「単語や文節の区切りがよくわからない」
「単語のまとまりがわからない」
「音読すると意味がわからなくなってしまう」
「読み方がたどたどしい」
「勝手な読み方をする」
などといった「世界」を生きています。
読むとは、文字を認識して音と結びつけ、いくつかの文字のつながりを単語として認識し、理解する行為です。
このプロセスのどこかでつまずいているために、読字障害が起こっています。
ですから、お子さんに対して周囲の大人は、
・プロセスのどの段階でつまずいているのか?
・そのとき「世界」がどんなふうに見えているのか?
を正確にヒアリングし、対処していくことが求められます。
〈書字障害のお子さんが見ている「世界」〉
書字障害のお子さんは、
「言葉を理解していても、文字を書けない」
「鏡文字を書いてしまったり、勝手な文字を書いてしまう」
「黒板やプリントの字が書き写せない」
「形の似ているひらがなやカタカナ(「め」と「ぬ」など)を書き間違える」
「小さな『っ』の音、最後が『ん』の音、『しゃ』など2文字の音が書けない」
「ひらがなは書けても、漢字が書けない」
「漢字のへんとつくりが逆になる」
「書き順が覚えられない」
「文字の形や大きさがバラバラになったり、マス目からはみ出す」
「文章が読みにくい、句読点が抜ける」
「文法的に誤りが多い」
「話していることを書き記せない」
といった「世界」を生きています。
ただ、ひとくちに「書く」と言っても実はさまざまで、お手本の文字を書き写す、自分の考えをまとめて書く、先生が話したことを書き記すなど、多岐にわたります。
お手本の文字を書き写せない場合、視覚認知の問題が絡んでいる可能性があります。
「アルファベットのbとdが認識できない」「漢字の細かい部分が認識できない」「漢字のへんとつくりを入れ替えて書いてしまう」といったことが起こります。
また、先生が話したことを書き記せない場合、聴覚認知の問題が背景にある場合もあります。
「先生が話したことを書き記す」とは、耳から入った音について、いくつかの変換候補(語群)の中から1つを選んで文字に変換し、そのとおりの文字として書き記すというプロセスを踏むわけですが、書字障害のお子さんは、次々と入力されてくる音の情報の変換がうまくいっていないのかもしれません。
〈算数障害のお子さんが見ている「世界」〉
算数障害のお子さんは、
「数字のけたが理解できない」
「繰り上がり、繰り下がりがわからない」
「九九は暗記できても、計算に使えない」
「暗算ができない、指を使って計算をする」
「算数の用語や、数式の記号がわからない」
「数字や記号の見落としが多い」
「図形が理解できない」
「文章問題で何を問われているのかがわからない」
「自分で計算式を立てられない」
といった「世界」を生きています。
「1、2、3……」といった基本的な数字の概念や、「+、-、×、÷」などの計算記号、数字の規則性などを認識するのが難しいのです。
数字をそろえて書くのが苦手な場合、視覚認知の問題が関わっているかもしれません。
また、文章問題で何を問われているのかがわからない場合は読字障害、先生からの質問に答えられない場合は聴覚認知がそれぞれリンクしていることも考えられます。
親の育て方、子どものやる気や努力の問題でもない
まだまだ未解明な部分が多いのでもどかしいのですが、LDも他の発達障害と同様、脳における何らかの機能障害が原因です。
人間は、目、耳、皮膚などの感覚器官を通して入ってくる情報を、脳の中で「受け取る/整理する/関係づける/表す」といった作業を行い、「読む、書く、計算する」といった「行動」に至ります。
しかし、定型発達者が「『読む』ときはこの順番で……」「『書く』ときはこの順番で……」「『計算する』ときはこの順番で……」とスムーズに踏んでいくステップのどこかで、LDの人はつまずいてしまうのです。
「定型発達者がトントンと上っていくステップを、慎重に一歩一歩上がらなければならない」というイメージに近いかもしれません。
確実に言えるのは、
・LDは家庭でのしつけや育て方が原因ではないということ
・お子さんのやる気や努力の問題でもないということ
です。
お子さんがLDかどうかを診断するのはなかなか難しくはあるのですが、それでも「もしかしたらLDなのかもしれない」と感じた時点で、一度専門医に診てもらうことをおすすめします。
LDの場合、苦手を補う工夫や配慮は数多くあります。我が子にLDの症状があると理解していれば、家庭で補う方法はありますし、学校や周囲の人たちに配慮や協力を呼びかけることもできます。
心配なのは、お子さんがLDなのに、親御さんを初め周囲の大人が障害を理解せず、
「なぜこんな簡単なこともできないんだ!」
「努力が足りないんだ!」
などと叱責してしまうことです。
そんなことをすれば、お子さんは深く傷つき、心身の健康の悪化にもつながります。何より大切なのは、身近な大人たちの「お子さんの症状に対する理解」です。
ADHDの子どもたちが「家」で見ている世界
ADHDは、日本語で「注意欠如多動性障害」と書くとおり、大きな症状としては「不注意」と「多動・衝動性」の2つが挙げられます。
家、学校、社会、いずれの場においても、この2つが代表的な悩み・問題となっています。
ここではまず、「家」にフォーカスして見ていきましょう。
乳児の時期に「うちの子はADHDでは?」と気づくのは、なかなか難しいものがあります。ただ、乳児の段階からいくつかの特徴が見られる場合があります。
1つは、刺激に敏感であるという特徴です。
音や光などの環境によって混乱しやすい傾向が見られます。
たとえば、音のうるさい場所、強い光を放つ場所などでは寝られなかったり、かんしゃくを起こしたり、泣いてしまったりすることが起こります。
「外出先、宿泊先では全然寝られない」といった場合、お子さんがいつもとは違う刺激を嫌がっているのかもしれません。
そして、刺激に対する拒否反応が多動・衝動性につながっている可能性があります。
さらに、動きが多い、睡眠時間が短い、よく泣きわめくといった特徴も、乳児の段階で見られることがあります。
歩けるようになると、自分自身の活動域も広がります。
大人の許可を得ず、興味・関心のあるものに惹かれて、そちらの方へ1人で行ってしまうということが起こるのです。
具体的には、「スーパーなどで一緒に買い物をしていたら、いつの間にか視界から消えていた」「サイレンカー(消防車や救急車、パトカーなどの緊急車両)を追いかけて走り出してしまった」といった具合です。そのため、たびたび迷子になります。
「ちょっと面白いものがあるとバーッと走っていって、自分がどこにいるのかわからなくなり、結局迷子になってしまうんです。だから、この子が小さい頃は常にしっかりと手を握っていました」というお母さんの思い出話をひんぱんに聞きます。
また、乳幼児の時期から昼寝をせずに1日を過ごし、親御さんが寝つく時間になってもまだ元気に動いているお子さんも見られます。
なお、ADHDの場合、睡眠過少のケース以外に、対照的に睡眠過多のケースもあります。
特に中学生頃から、いくら夜間に眠っても昼間の眠気があるという過眠症も見られます。
感情を爆発させてしまう子も
さらには、感情を爆発させてしまうお子さんもいます。怒りっぽかったり、イライラして物にあたってしまったり。
コンビニで買ってほしいお菓子があったのに親御さんに「ダメ」と言われてしまったことが許せず、絶対に買ってほしくて、道路に突っ伏したまま駄々をこねて、疲れ果てるまで何十分も泣きわめくといったケースもありました。
こういった多動・衝動性に関する症状は、歳を重ねるにつれて激しさを増すものもあれば落ち着いていくものもあり、人によってさまざまです。
とはいえ、うろうろ歩きやかんしゃくは日々ひんぱんに起こることなので、親御さんを初めとするご家族は、心身ともに苦労が多いと思います。
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ただ、私の実感としては、「兄弟姉妹との間でケンカになってしまい、ADHDのお子さんが衝動的に暴力を振るってしまった」といった出来事は必ずしも多くはありません。
つまり、ケンカや揉め事の頻度は、定型発達の兄弟姉妹とあまり変わらないようです。
ADHDのお子さんの特性を、兄弟姉妹がある程度は理解していることが理由の一つかもしれません。
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