仙台大で職員として働いている佐々木琢磨(30)=仙台大TC=は、聴覚障害者の総合スポーツ大会「デフリンピック」の100メートルで、日本人初となる金メダルを獲得したスプリンターだ。
今年10月に鹿児島で行われた国体には、ろう者として初めて青森県代表としてトラック種目に参加するなど、日々成長している。
2025年11月に東京で開催されるデフリンピックで2連覇を目指す金ダメリストに、陸上との出会いや意気込みなどを聞いた。(取材・構成=山崎 賢人)
「たぶん生まれつきだと思います」。
2歳の時に原因不明の内耳性難聴が発覚した佐々木は中学から陸上を始め、100メートル走で記録を出し続けてきた。
22年のデフリンピック・ブラジル大会で頂点に輝いたトップアスリートは、東京大会に向け「もちろん優勝することを目標に、世界記録(10秒21)を更新したい」と意気込んだ。
青森ろう学校小学部では野球少年だった。
4年生から健常者と同じ野球クラブに通い、内野手としてプロ野球選手を目指していたが、6年生の時に「先生から野球の専門用語を言われたときに、友達は理解していたが自分は理解ができなかった」と初めてろうを意識。音としてあらゆる情報が入ってくる健常者とは違い、全てを理解することができず、「どう頑張ってもプロは無理だと分かって、夢が霧みたいに消えてしまった」と道が閉ざされた。
中学部に進学後、唯一の運動系だった陸上部に先生から半ば強制で入れられたことをきっかけに、人生が良い方向に動き出した。
3年生までは夢中にならなかったが、友達から高校年代で行われる全国ろう学校陸上競技大会の存在を教えられ400メートルリレー走で「メダルが取りたい」と新たな目標ができ、頑張る理由が生まれた。
友達がいた岩手・盛岡聴覚支援学校高等部に進学し、目標としていた全国ろう学校陸上競技大会に出場したときに「JAPAN」のユニホームに身を包んだ人がいた。
「高校生なのに日本代表のユニホーム着て目立っていたと思ったけど、実際は大人だった(笑い)」。
先輩に教えてもらったその人はデフリンピックハンマー投げ代表の森本真敏さんだった。
「森本さんに出会うまでは夢がなかったですけど『デフリンピックに出たい』と、心も体も熱くなった」。
世界大会の活躍を夢に努力を続け、昨年10秒75のタイムで念願の優勝を果たした。
最初はあまり興味がなかった陸上も、今では人生を華やかにしてくれた大好きな競技。
花形種目の100メートル走では「知的障害者や自閉症などいろんな障害を持っている人でも、誰が見ても分かるルールが魅力」と単純明快な勝負で競い、夢や希望を与えている。
今年はピストル音の代わりに光でスタートを知らせるランプを使用して健常者と国体でガチンコ勝負も行い、予選敗退に終わったが「もっと強くなりたい」と闘志を再度燃やすきっかけにもなった。
デフリンピック東京大会に向けては「健常者のトップレベルの大会で活躍できるようになること」を目標に緊張の波があるメンタル面を鍛えあげ、2連覇をつかみ取る。
◆佐々木 琢磨(ささき・たくま)1993年11月30日、青森・五戸町生まれ。30歳。盛岡聴覚支援学校高等部3年時に、全国ろう学校陸上競技大会の100メートル、200メートル、400メートルリレーで三冠を達成。仙台大進学後、2年時にデフリンピック・ブルガリア大会に初出場。4年時にはアジア太平洋ろう者競技大会で金メダルを獲得。自己ベスト100メートル10秒59。200メートル21秒89。167センチ、67キロ。
◆デフリンピック デフ+オリンピックのこと。デフ(Deaf)は英語で耳が聞こえないという意味で、ろう者のための国際スポーツ大会となっている。第1回大会は1924年にフランスで開催された。25年の東京大会は25回目で100周年となる記念大会となり、約80か国・地域から約3000人が参加する。オリンピックと同じく4年に1度夏季大会と冬季大会が開催される。パラリンピックに聴覚障害者の種目はない。
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