「私の祖父もろうの理髪師でした」…作者が「事実」をもとにして描く、「日本初」のろう理容師の真実

「私の祖父もろうの理髪師でした」…作者が「事実」をもとにして描く、「日本初」のろう理容師の真実

2024.11.15 # 本

吉田 大助ライター
プロフィール

美術業界の裏側を綴った「神の値段」で第一四回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、二〇一六年にデビューした一色さゆりさんは、大学と大学院でアートを学び学芸員として働いてきた経歴を活かして、アート・ミステリーを数多く手がけていることで知られる。

最新作『音のない理髪店』は、アートを題材にしてもいなければ、「謎」が掲げられたミステリーでもない。耳が聞こえないろう者の歴史と現実を、一人の人物を軸に描き出す、多彩で多層的な人間ドラマとなっている。

今回は、一色さゆりさんに『音のない理髪店』の誕生秘話をうかがった。

(聞き手・吉田大助)


一色さゆり(いっしき・さゆり)
1988年、京都府生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒
業。香港中文大学大学院美術研究科修了。2015年、「神の値段」で第14回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞して、翌年作家
デビューを果たす。主な著書に『ピカソになれない私たち』、『コンサバター 大英博物館の天才修復士』からつづく「コンサバター」シリーズ、『カンヴァスの恋人たち』など。近著に『ユリイカの宝箱 アートの島と秘密の鍵』などがある。


これまでとは異なる物語の佇まい、その出発点

──『音のない理髪店』の主人公は、一色さんとほぼ同い年、三〇代半ばの女性小説家・五森つばめです。自分はなぜ小説を書くのか、小説には何ができるのかという問いも作中に充満していますし、主人公が発する「言葉の要らない世界のことを言葉にしたい」といった言葉には、アートを題材にした小説を書き継いできた一色さんならではの気付きが宿っていたのではないか。書き手自身のプライベートな息吹を感じる作品だったのですが、物語の出発点はどこにあったのでしょうか?

書籍の表紙「『音のない理髪店』」

おっしゃっていただいた通り、『音のない理髪店』は私にとって一番個人的な、特別な作品です。この小説は主人公のつばめが、ろうの理髪師だった祖父の人生を辿っていくお話ですが、私の祖父もろうの理髪師だったんです。人物像や家族構成などは全く違いますが、祖父も徳島にずっと住んでいて、聾学校に新設された理髪科の卒業生第一号だったというのは事実です。作中で祖父は「主人公が生まれる前年に亡くなった」という設定になっているのもその通りで、私が生まれる少し前に祖父は亡くなっています。小説家としては「全部想像で書いた!」みたいなことを言いたい気持ちもあるんですが(笑)、今回の話はかなり個人的な事実から生まれています。

──一色さんの代名詞であるアート・ミステリーとは、物語の佇まいが異なりますよね。お祖父さまのこと、お祖父さまが営んでいた「音のない理髪店」のことをいつか小説で書きたいと思っていたんですか?

デビュー当時はアート・ミステリーを求められていると感じ、まずはその期待に応えたかったんですが、作家としてそれだけを書いていくつもりはありませんでした。講談社の編集者さんと打ち合わせした時にたまたま祖父の話になり、それを小説にしましょう、と。企画が立ち上がったのは六年くらい前なんです。

──主人公のつばめはろうの世界には全く詳しくなく、祖父の生涯についてもほぼ何も知らない、という状態からのスタートでしたが……。

私も同じでした。書くと決めてからすぐに手話通訳者や要約筆記者の養成講座に通い始め、徳島の聾学校にもお邪魔させてもらいました。今は「徳島県立徳島聴覚支援学校」と改名されているんですが、先生に話を聞いたり、文書館に行って資料を読んだり。そうしたら、学校の倉庫の中に貼られていた年表の最初の方に、祖父の名前が記されていたんです。それを見た時、もしも私が書かなかったら、埋もれていく歴史なんだなということを実感しました。ただ、私はつばめとは違って、親族に話を聞くのはほどほどに留めたんです。あまり聞きすぎると、実際に会って話してもらった事実に沿うようなおじいちゃん像を書かなければいけない、となってしまうかなと。祖父の評伝のようなものを書くつもりはなかった。小説を書きたかったんです。


歴史そのものを書くのではなく歴史の中にいた個人の物語を書く


──第一章は二〇一三年になったばかりの冬、新人賞を受賞しデビューしたものの三年間次の本が出せず、燻っているつばめのモノローグから始まります。ある日、デビュー版元とは異なる老舗出版社の編集者と会うことになり、ろう者を両親に持つ主人公の物語をかつて構想したこと、祖父母はろう者で、父親はコーダ(ろう者に育てられた聞こえる子供)であることを話します。「祖父は日本ではじめてのろう理容師だったと聞きました」と。徳島にいる祖母とは疎遠で、神戸で暮らす父とは折り合いが悪い。そんな自分がろう者のことや、家族について書いていいものかというつばめの逡巡を受け止めたうえで、編集者は「やはり、おじいさまのことを書かれてはどうでしょう?」と言います。亡くなった祖父の人生を辿ることは、今の自分にとって大きな意味を持つことかもしれない。つばめはまず、父や早逝した母と暮らしていた神戸の実家に足を運び、父と再会し祖父についての話を聞きます。そこから父の回想が始まり……と、つばめを語りに据えた現在パートと複数の人物による回想パートがスイッチしながら物語は進んでいきます。

一色さゆりさん

編集者さんから、百田尚樹さんの『永遠の0』の構造を参考にするのがいいんじゃないでしょうか、とアドバイスをいただいたんです。『永遠の0』のように現代の主人公がいろいろな人に話を聞きに行く今の時間軸と、昔の時間軸を行ったり来たりする構造にすることで、歴史物語という枠組みにとらわれず、過去と現在が地続きであることを強調できるのではないかと思いました。もう一つ念頭にあった作品は、『この世界の片隅に』です(※漫画家のこうの史代さんが「戦争と広島」をテーマに描いた漫画を、片渕須直監督が長編アニメーション化した作品)。あの作品も『永遠の0』と同様に戦争をテーマにしながら、すずさんという主人公の日常を丁寧に細やかに描いている。歴史そのものを書こうとするのではなくて、歴史の中にいた個人の物語を書く。そのアプローチは、私も今回の作品で目指していたところでした。

──つばめのお父さん、五森海太の回想パートは、自分が小学校に上がるタイミングで家族写真を撮りに行った思い出から始まります。自転車の二人乗りをしているんですが、後ろからエンジンの音が聞こえてくると、ペダルを漕ぐ父の背中をとんとん叩いて知らせるんですよね。〈ありがとう〉と親指を立てて褒められ、海太は父の背中に大きく丸を描く。耳が聞こえないろう者の親とコーダの子供、親子の日常の一コマとそこに宿る双方の感情を、ありありと眼に浮かぶ情景描写で表現されている。最初からグッと作品世界に入り込んでいける感覚がありました。

人が近づいてくる気配とか物が近づいてくる気配を、ろう者の方の背中を叩いて示すというやり方は手話の講座でも習いましたし、親族からも「自転車に乗ったおじいちゃんの背中をよく叩いていた」という話を聞いていました。世の中にはいろいろな小説があると思うんですよね。一人の気持ちをものすごく細やかにたくさん描写をしているものもあれば、私はどちらかというと情景というか、見えるものを映像的に重ねることで人の気持ちを想像してもらいたいんです。


個人を浮かび上がらせるために、さまざまな視点をつくりだ


──海太はつばめに、亡き父の思い出と母に対するわだかまりを初めて語る。その経験を経て父と娘の関係が改善していくプロセスには納得感がありました。その後つばめは手話教室に通いながら、親族や、祖父五森正一が卒業した聾学校の関係者と会い、彼らの人生に触れていきます。とにかく驚かされるのは、回想シーンで採用されている視点の多様さです。子供から見た正一、妻から見た正一、曽祖父から見た正一、理髪科の先生から見た正一……。そのおかげで正一の実像がより立体的に浮かび上がっていくんですが、こんなにもさまざまな視点に入り込むことは必然の選択でしたか?

一色さゆりさん

一人の個人の実像を炙り出すためにもいろいろな視点は必要でしたし、ろうという障害に内包される問題やその中で光ってくる人間ドラマを最大限掘り下げるためには、できるだけいろいろな角度からアプローチする必要があったなと思います。ときには相反する立場の各視点に入り込んで書けるようになるためにも、コツコツと自分の中に情報を溜めていかなければならなかった。時代もかなり幅広く取っているんです。年齢的に戦争を経験している登場人物もいますので、「耳が聞こえない人がどういうふうに戦争と向き合っていたのか?」についても調べる必要がありました。最初の一行をようやく書き出すことができたのは、構想を始めて四年ぐらい経ってからでした。

──書き出したきっかけは何だったんですか?

具体的なきっかけがあったわけではないんですが、出産を経験したことは大きかったかもしれません。もともとこの小説は親、本人、子供の三世代を書こうと思っていたんですが、自分が実際に親になったことで初めて見えてくる部分がありました。例えば、もしも自分の子供の耳が聞こえなかったらどうだろう、どんな教育を受けさせるのか……と。子供から見た聞こえない親というのは、最初の構想の段階からそれなりに想像できていたんです。耳の聞こえない子供に対する感情は、実生活の変化が役に立った部分もあると思います。


取材で出会った人々の思いに触れたことが「思いを繫げる」というテーマに表れていった


──つばめは祖父についての取材を進め、ろう者についての知識を深めていく過程で、ろう者であったために起こった祖母の悲劇を知ります。その悲劇のあまりの重さを前にして、小説を書くことを諦めるべきかと悩んでしまう。でも、それでも……と、自分なりの大義を得て小説と再び向き合っていく。そのプロセスがあったことで、過去を知ること、他者を知ることで己を知る、主人公の成長物語としての側面が色濃くなっていったと思います。

一色さゆりさん

そこは書きようによってはつばめは逃げたんじゃないか、暗すぎるから蓋をしておこうとしたんじゃないかと読み取られかねないなと思い、最後の最後まで細かく手を入れたシーンでした。実は、祖母の「秘密」こそが、物語を具体的に組み立てていくうえでの最初のスタート地点でもあったんです。ろう者の方々が歴史的に被ってきた差別であり悲劇を祖母の「秘密」に閉じ込めたうえで、希望を描きたい。それがこの作品で、作家としてやりたいことだったんです。

──「秘密」があり、それが明かされるというミステリー的なドラマの中に祈りや願いが込められていたんですね。一方で本作は、ろう者という題材はメジャーではなくマイナーですが、普遍的なテーマにも辿り着いている。言葉についての小説でもあるし、コミュニケーションについて、他者とわかり合おうとすることについての小説でもありますよね。

つばめは作家として、なにを書けばいいのかわからないという状態から始まります。SNSなどで毎日言葉をいっぱい発信している現代人にも、どこか通ずる部分があるんじゃないかと思うんです。伝える技術には長けているんだけれども伝えたいことを見失っているというつばめと、伝わりにくいというもどかしさを抱えながらも、ものすごく伝えたいことがあるろう者の人たちとの対比は、この話のテーマになっているなと思います。


絶望ではなく、喜びを描く


──物語が進んでいくうちに輪郭が浮かび上がっていく、思いが繫がる、というテーマに関してはいかがですか?

一色さゆりさん(モノクロ写真)

「小説現代」の編集長に原稿を読んでいただいた時に、「この話のテーマは、人と簡単にわかり合えない世の中で、繫ぐこととか伝わること、その一瞬の尊さみたいなものですね」と言われ、あぁそうかと自覚した感じです。王道と言えば、王道のテーマですよね(笑)。最近、『鬼滅の刃』の「無限列車編」のアニメを遅ればせながら見たんですが、『音のない理髪店』と一緒のことを言っているなと思いました。思いが繫がっていくこと、その尊さは、みんなが気になるというか、そうであってほしいと願っていることなのかもしれません。

──思いは往々にして繫がらないものであるという絶望にフォーカスするか、繫がった瞬間の喜びを見るか。この小説は、後者に力点を置いたわけですね。

もちろん暗い部分を描くことを前提としますが、私自身がネアカというのもあって(笑)、取材を通して出会った人々の存在も大きいんです。取材に応じてくださったろう者の方々も私利私欲を超えて話をしてくださる人が多くて、資料もどっさり送ってくださったりする。今も出入りしている手話サークルには、ろう者ではない人たちもたくさん通っているんですが、ろう者を助けたい、支えたいという思いで手話を習いにきているんです。そういう人たちの思いに触れたことが、「思いが繫がる」というテーマに表れていったのかなという気がします。この『音のない理髪店』が、ろう者やその家族友人、ろう理容に関わる人の「思いが繫がる」一助になってくれれば嬉しいですが、とはいえ、小説家としては、読者の方にただ楽しんで読んでほしいというのが本望です。


書籍『音のない理髪店』の表紙

『音のない理髪店』
大正時代に生まれ、幼少時にろう者になった五森正一は、日本で最初に創設された聾学校理髪科に希望を見出し、修学に励んだ。当時としては前例のない、障害者としての自立を目指して。やがて17歳で聾学校を卒業し、いくつもの困難を乗り越えて、徳島市近郊でついに自分の理髪店を開業するに至る。日中戦争がはじまった翌年のことだった。──そして現代。3年前に作家デビューした孫の五森つばめは、祖父・正一の半生を描く決意をする。ろうの祖父母と、コーダ(ろうの親を持つ子ども)の父と伯母、そしてコーダの娘である自分。3代にわたる想いをつなぐための取材がはじまった……。


リンク先は現代ビジネスというサイトの記事になります。
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