2024.08.15
# 感覚過敏
国実 マヤコ 書籍編集者・文筆家
プロフィール
光、音、におい、肌触りなど、私たちを取り巻くさまざまな“刺激”が引き金となって起こる、「感覚過敏」――。いま、不登校の原因とひとつとしても注目され、多くの人々を苦しめている、その壮絶な実態が明らかになりつつあります。
【「服が痛い」「泣きながら靴下をはく」…多くの子どもを苦しめる「感覚過敏」の正体とその課題】に引き続き、本稿では、感覚過敏の当事者で、「感覚過敏研究所」所長を務める加藤路瑛さんの著書『カビンくんとドンマちゃん 感覚過敏と感覚鈍麻の感じ方』(監修:児童精神科医・黒川駿哉、ワニブックス)の一部を抜粋・編集し、あらゆる体調不良の原因となりうる「感覚過敏」の実態に迫ります。
ワニブックス刊
太陽や蛍光灯の光が「頭痛」の原因に
「ダメだ、まぶしい」……。出版社に勤めるKさんは、今日もだまって職場のロールカーテンを下ろす。5月を過ぎ、日差しが夏に変わった頃から、職場で原因不明の頭痛が起きるようになった。よく言われる気象病も疑ったが、逆に、頭痛は決まって天気の良い日に起こる。加えて、頭痛はデスクが窓際の位置へ“配置替え”されてから起こるようになったことに気づいた。本格的な夏を迎える頃には、頭痛のみならず、目の痛みも感じるようになっていた。
窓際に位置するKさんのデスクは、コピー機と細い通路を挟むものの、天気の良い日は直射日光を受けることになる。そんな日は、目の前の白いゲラ刷り(紙)やPCの画面に光が反射し、何が書いてあるか読めないこともあるという。これでは仕事にならない……。そのため、編集部全体が薄暗くなることを気にしながらも、窓のロールカーテンを黙って下ろすようになったという。
しかし、Kさんが苦手なのは太陽光ばかりではない。夜になると、今度は蛍光灯の灯りが気になる。これは今に始まったことではなく、幼少期から“苦手”なのだそうだ。もちろん、自宅に蛍光灯はない。「暖色の間接照明でないと、まぶしくて落ち着かないですし、(蛍光灯だと)やはり頭痛が起こりやすい」とKさんは話す。そして、こう続けた。
日常生活を蝕む「感覚過敏」
Kさんは「感覚過敏」と呼ばれる感覚特性に悩まされているひとり。なかでも、太陽の光で頭痛がする、スマホやパソコンの画面の光が目に刺さる感じで痛いといった症状を代表とする「視覚過敏」を強く持っているため、太陽光や蛍光灯だけでなく、チカチカとした原色の強いテレビ番組、スマホの画面にも気をつけているという。
このKさんのように“まぶしさ”で体調を崩す人をふくめ、現在、多くの人が自身の“困りごと”として、この「感覚過敏」を認識しつつある。「感覚過敏」とは、感覚特性のひとつで、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚などの感覚が過敏になり、日常生活に困難を抱える状態のことをいう。
当然、「感覚」には個人差があり、本来ならは一人ひとり異なるもの。しかし、人は社会の中で生きているため「多くの人はこう感じる」という“平均値”から設定された環境や仕組みの中での生活を余儀なくされている。しかし、自分の「感覚」がこの“平均値”から大きく離れていたとき、少なからず、困りごとが発生したり、周りの人間が苦もなく行っていることが努力しないとできない、といったハードルを感じるというワケだ。
この“平均値”から離れた感覚の特性を「感覚過敏」「感覚鈍麻」といい、くわしくはいまだ研究中であるものの、刺激に対する脳機能の働きや疾患、個人的な経験など、さまざまな原因で起きると考えられている。
「みんなは服が痛くないんだ!」という驚き
感覚過敏の当事者で、現在は「感覚過敏研究所」所長を務める加藤路瑛さんも、先述したKさんと同じく、学校で窓際の席になったとき「まぶしくて授業に集中できなかった。というより、座っているだけで精一杯だったかもしれない」と、過去の体験を振り返る。また、加藤さんの場合は「人に触れられることが苦手」「服のタグ、縫い目などに痛みや不快感を抱き、快適に着られる衣服が少ない」などが代表的な症状となる「触覚過敏」を強く持っているため、今でも、着用できる服は限られている。
「そもそも、服の生地が痛いんです。ズボンはまるでサンドペーパーのようで、太ももを削られるかのよう。制服のブレザーも、まるで鉛のように重かった。せっかく買ってもらった、けっして安くはない学校指定のポロシャツも、結局“痛み”で着ることができませんでした」。
ずっと“服とは痛いもので、それを人間は我慢して着ているもの”だと思っていた加藤さんだが、「みんなは痛くないんだ!」と知ったのは中学1年生のとき。「感覚過敏」という言葉に出会ってからだった。
「感覚過敏」は、どんな人にも起こり得る
加藤さんが主宰する「感覚過敏研究所」で医療アドバイザーを務める児童精神科医の黒川駿哉氏も、「児童精神科医として、感覚過敏や鈍麻が日常生活に大きな影響を与えていることを見てきた」という。
黒川医師曰く、「これら(感覚過敏/鈍麻)は、感覚の入力や統合、感情や記憶、強調運動などが複雑に絡み合った結果です。しかし、多くの人にとってこれは生まれつきの『デフォルト設定』で、自覚されにくいもの。感覚過敏や鈍麻は、病気だけでなく『定型発達』の人々にも見られます。つまり、これは『異常』ではなく、人間の多様性の一部です」とのこと。
もちろん、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如多動症(ADHD)、知的発達症(ID)、発達性協調運動症(DCD)、不安症、うつ病、PTSDといった感覚過敏や鈍麻と親和性の高い医学的診断名もあるが、「これらの診断名がつくことは『異常である』というレッテルが貼られることではありません」と黒川医師は強く訴える。
また、冒頭のKさんや加藤さんの“まぶしさ”について、黒川医師は以下のように説明する。「私たちの脳は、『何かを見る』ために、常に膨大な量の情報処理を行なっています。視覚の受容器である『目』から入った情報は、眼球内の複雑な仕組みを経て電気信号となり、視神経を通り、最終的に脳の視覚野と呼ばれる部位に運ばれ、色、形、方向、動きなどを判断。さらに、受け取った情報をこれまでの経験や記憶と結び付けて判断する、ということまで瞬時に行なっています」
「このように『見る』こと一つをとっても、大量かつ複雑な情報処理が行われており、人によって情報処理のしかたにバリエーションが生まれることも。そのため、一般的には『よい環境』と思われている環境であっても、感覚特性のある人には心地よい環境ではないかもしれません。たとえば、視覚過敏がある人が明るい窓際の席に座ると、光をことさら強く感じ、まぶしくて目が開けられなかったり、体調が悪くなったりする場合もあります」
いま求められる“環境面での配慮”とは
黒川医師は続ける。「感覚鈍麻の特性のある人は、直射日光を浴び続けることによる暑さや喉の渇きに気づかないことで、体調不良になってしまう場合もあります。学校など集団生活の場では、サングラスをかける、カーテンを引いて遮光する、陽の当たらない席の人と替わるなど、感覚特性のある人への配慮を行い、だれもが無理なく過ごせる環境を作ることが必要です」
つまり、社会人であるKさんは、自ら日光を避けるべく「ロールカーテンを下ろす」ことができたが、学生の加藤さんの(教室の)ケースでは、それができなかった……。そう、いま、教育機関を筆頭に“見えない特性に対する、環境面での配慮”が、必要とされている。
たとえば、視覚過敏で光の反射が眩しいのであれば、教室内でもサングラスを着用したり、聴覚過敏があればイヤーマフをつけるといったことが――メガネをかけるのと同じように――本人の必要に応じてできる環境をつくるべきだろう。
どんな特性を持つ人であっても、誰もが不自由や不便を感じないよう、違いに配慮する社会を作ることが、いま、求められている。
【第一回】登校しぶりは「運動会のピストル音」から…わが子は“神経質な子”ではなく“感覚過敏”だったはこちらから
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