大阪の会話禁止カフェや「静かなレストラン」ガイドなどが話題
ポルトガルのアラビダ自然公園でヨガをする女性。騒がしい世の中で心身の安定を図ろうと、誰かと一緒に静かに読書や瞑想をしたり、騒音の少ない場所で過ごしたりする人が増えている。(Photograph by Matthieu Paley, Nat Geo Image Collection)
街を行き交う車の騒音や落ち葉を吹き払う機械の音、スマートフォン(スマホ)から四六時中流れてくる動画の音声など、現代に生きる私たちを取り巻く音はうるさくなる一方だ。こうしたあふれんばかりの騒音から逃れようと、今では手に入れるのがどんどん難しくなっている環境、つまり「静寂」を求める人は多い。
「人は、こうした騒音の量や過剰な刺激に適応するようにはできていません」と、ノルウェー在住の心理学者で静寂を専門に研究するオルガ・レーマン氏は考えている。騒音公害、具体的には85デシベル(騒がしいレストランレベル)を超える音に過度にさらされると、難聴や高血圧、ストレス、不眠症の要因になる恐れがある。(参考記事:「香港のイルカが17年で80%減少、海の騒音問題に注目集まる」)
喧騒(けんそう)から逃れ、静寂を求めて旅に出る人もいるが、自宅で静かに過ごす時間も大切だ。
「日々の生活で、わずかでも静かな時間を持つことは、ストレスを調整し衝動を抑えるのに有効です」とレーマン氏。とはいえ、生活から音を完全に消すことを目指しているわけではなく、日常生活のごたごたと平穏のバランスを取るのが大事だという。生活の中に静かな時間を取り入れる動きが広がりをみせている今、そうしたバランスを手に入れるのは可能だ。
静かさを求めるカウンターカルチャー
静寂を求める動きは、特に若い世代の間でトレンドになっている。例えば、2023年、TikTok(ティックトック)ではサイレントウオーキングが大流行するという現象が起きた。ポッドキャストや音楽、通話などを一切遮断して、何にも邪魔をされずに散歩することの大切さを、クリエーターたちは熱く語った。
スマホ以前の世代からは揶揄(やゆ)する声もあったが、こうした活動が人気を博したのは、デジタルネーティブ世代が騒音のない時間にひどく飢えていることの現れといえる。
なかには、数日間静かに瞑想する、あるいは「ダークネス・リトリート」(暗闇の中で数日間過ごすこと)を実践するなど、より思い切った手段に出る人もいる。後者については、米プロフットボールNFLでクォーターバックとして活躍するアーロン・ロジャース が米オレゴン州のスカイ・ケイブズ・リトリートで体験したとして大きな話題となった。
このように感覚を遮断する体験は、聴覚だけにとどまらない。完全な暗闇の中、ほぼ1人の状態で数日間過ごすことで、参加者に自己発見と内省を促すことを目的とする。こうした極端な方法が合う人もいるだろうが、「ちょっとしたことから始めるほうがいい、と個人的には思います」とレーマン氏は語る。
近所の公園や美術館、図書館で、IT機器などを持たずに10分間座っているといったシンプルなことでよい。瞑想やヨガに参加するのもよい。サイレントヨガのクラスであればもっとよいだろう。方法はどうであれ、静かな時間は、必ずしも孤立状態とイコールではない。
レーマン氏はこう語る。「私たちは今、疎外感と孤独感というパンデミックの中にいます。静かな時間のマイナス面といってもいいかもしれません」(参考記事:「コロナ禍の”沈黙の春”に鳥の美声が回復、研究」)
静寂の中で人と交流する
幸いなことに、静寂を求める人の多くは、静けさと人との交流とを両立させている。米ジョージア州に拠点を構え、野外レクリエーションを通じて黒人の自然愛好家の交流を図っている団体「ピース・イン・ザ・ワイルド」のように、会話禁止ハイキングを、瞑想を取り入れたグループ活動へと発展させたところもある。
「サイレント・ブック・クラブ」では、読書家が集まり、おしゃべりをせずに1時間読書を楽しむ活動をしている。近年、BookTok(ブックトック)やBookstagram(ブックスタグラム)といったソーシャルメディアのサブコミュニティを通じて、人気が急上昇している。
2023年12月4日、米ニューヨークのブルックリンにあるバー「FourFiveSix(フォーファイブシックス)」で開かれたイベント「リーディング・リズム」に集い、静かに読書する人々。(Photograph by Lila Barth, The New York Times/ Redux)
「私たちはこの活動を『内向的な人のハッピーアワー』と呼んでいます」と話すのは、クラブの創設者の1人であるグィネビア・デ・ラ・メア氏だ。クラブは現在、50カ国に1000以上の支部がある。「サイレント・ブック・クラブは、パンデミック後に、負担も少なく気楽な形で人との交流を復活させる場として人気が出ました」(参考記事:「子どもの心の健康にも『沈黙は金』、その大きな効果と処方箋」)
クラブ名には「サイレント」とあるが、クラブのイベントでは、まったく音がないわけではない。集まるのはたいてい地元のカフェで、がやがやした場所だ。
だが日本には、数は少ないが会話禁止のコーヒーショップがあり、カフェが騒々しいのは「あたり前」ではないと教えてくれる。最近、大阪にオープンしたカフェ「清浄(しょうじょう)」では、耳が聞こえない、あるいは聞こえづらい人がメインで働いている。店内は話し声がなく、静かな雰囲気で、客は手話や筆談、または指さしで注文をする。
騒音の少ない隠れ家的な場所を米国で見つけるのは難しいが、不可能ではない。例えば、米スターバックスは最近、1000軒以上の店舗で、「バッフル」という吸音する天井デザインを導入すると発表した。
「静かなレストラン用のYelp(イェルプ、ユーザーによるレビューサイト)」と言われるプラットフォームの Soundprint(サウンドプリント)では、コーヒーショップやナイトクラブなど、世界中の店の騒音レベルをユーザーが判定して情報共有できるようになっている。Soundprintの世界地図上には、1000軒を超える店の騒音判定が表示され、静か(70デシベル以下)から非常にうるさい(81デシベル以上)までランク付けされている。
街の「音の風景」を改善する
デジタル・デトックスにも静かな隠れ家的場所にも限界はある。世界の人口の半分以上が住む騒々しい都市部では特にそうだ。世界保健機関(WHO)は、騒音公害について、大気汚染に次ぐ、健康問題を引き起こす環境要因に挙げている。都市生活は慢性的に85デシベル以上の騒音にさらされていることを思えば、驚きでも何でもない。
また、米国立公園局の試算によると、騒音公害は30年ごとに2倍以上に増えているという。米国の人口増加を上回る速さだ。
「交通の騒音は、都市が必ず抱える大きな問題です。電気自動車(EV)を推進する人が多いのはそのためです」と、建築家兼都市音響プランナーで、英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで講師を務めるフランチェスコ・アレッタ氏は説明する。EVは、住宅地での低速走行ではガソリン車よりもはるかに静かだ。幹線道路での騒音源はタイヤノイズであることから、「都市当局では、アスファルトに静粛性の高い技術を採用している」とアレッタ氏は言う。
残念ながら、政府レベルの対策には時間と煩雑な手続きを要する。とりわけ、米国のように、騒音に関する研究も規制も十分ではない場所ではなおさらだ。
しかし、都市部ではわずかながらも進歩の兆しが見えつつある。2023年、ニューヨーク市議会は、騒音カメラを設置し、市が定める85デシベル制限を超えた車両の追跡に乗り出した。また、ガソリンエンジン式のリーフブロワー(枯れ葉の清掃に使う送風機)の使用を制限する規則は、ワシントンDCからオレゴン州ポートランドに至る全米の都市部およびその近郊の騒音低減につながっている。
樹木も騒音対策に一役買っている。幹線道路の並木は、騒音を最大12デシベル低減する。また、ドイツのデュッセルドルフにあるオフィスビルの外側は3万株の植物で覆われ、ヨーロッパ最大の緑のファサードだ。こうした「生きた壁」は、騒音を吸収すると同時に、都市の熱も抑える。(参考記事:「“宮脇方式”の『ミニ森林』が世界で増加、都市部の植樹で人気」)
静けさを求める社会の声に応えると思われるテクノロジーの1つとして、アレッタ氏はアップル・ウオッチなどのウェアラブル端末を挙げる。周囲の騒音レベルについて、ユーザーに注意を促す機能を持つ端末だ。「モニタリングを開始して騒音レベルがわかった瞬間に、すぐに行動を起こせます」とアレッタ氏。
また、英ウェールズで、クリーンな空気だけではなくサウンドスケープを保護する法律が可決されるなど、「最近の動きには期待が持てる」とアレッタ氏は言う。「こうした政策や新たな法律の制定は、潮目が変わりつつある良い兆候だと私は考えています」
参考ギャラリー:ヨガで心の安らぎを(2020年1月号、写真クリックでギャラリーページへ)
米国コロラド州デンバー郊外のレッドロックス野外劇場で開催された「ヨガ・オン・ザ・ロック」。2100人が参加した。米国では、ストレス解消と健康増進の方法としてヨガの人気が高まっている。PHOTOGRAPH BY ANDY RICHTER
文=Stephanie Vermillion/訳=夏村貴子
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