本当はわかる答え、書かずに出した
2022年8月、一通のメールが取材班に届いた。
朝日新聞デジタルの連載「ギフテッド 才能の光と影」を読んだ読者からだった。
フォトグラファーの立花奈央子さんの記事に共感したと感想を述べ、自身の経験をつづってくれていた。以下がその文面の一部だ。
「なかなか他の人に話せないことですが、私自身、ろう者で、後にIQ130台だとわかった者です。小2から一般の学校に通いました。先生や周囲の話していることが聞き取れない自分はわかって、聞き取れるはずの同級生はわからないことがとても不思議でした。テストで、本当はわかる答えを書かずに出したこともあります。
『聞こえない人が聞こえる人に認められるためには、勉強ができていないといけない』と信じている親と、『できることでいいことがあったためしがないから、できない自分でいたい』と思う自分との間でとても苦しかったです。
(中略)
障害と、学識における「才能」の組み合わせは、とても生きづらいと思います。こういう人たちの存在はどれほど認識されているのでしょうか」
才能と、身体障害と、生きづらさ。「できない自分でいたい」と思わせたものとは何だったのか。
聴者の私にはおよそ考えつかない視点だった。
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