障害は「私にとっては当たり前」目と耳が不自由な高校生が伝えたかった「日常」

障害は「私にとっては当たり前」目と耳が不自由な高校生が伝えたかった「日常」

福永心雪(こゆき)さん(千葉・筑波大学附属聴覚特別支援学校高等部3年)は先天性の難聴に加え、視野が狭くなる病「網膜色素変性症」を抱える。自身の障害に向き合い、伝えたかったのは、「聞こえづらい、見えづらいのが私の日常」だというメッセージだ。(文・写真 黒澤真紀)

耳と目に障害を持つ

生まれつき重度の聴覚障害があるため、人工内耳を埋め込んでいる。音を聞き分けるのが難しいときは、相手に「はっきりと大きく話してもらっていい?」と頼む。

会話ができるので手話が使えない人とも話せるが、細かいニュアンスが伝わっているかどうか心配なときは、タブレットで筆談をしたり、メールや文書でやりとりしたりすることもある。

障害があるのは耳だけではない。目には「網膜色素変性症」という病気を抱えている。視野が狭く、視界が虫食いのように見え、暗闇では見づらくなる進行性の難病で、治療法は見つかっていない。手話を使う相手と話すときは、顔と手話の両方が見えるように、相手と1メートル以上離れて向き合う。

目の病が分かり「安心した」

「障害とは共存してるんです」と言う。聴覚障害は生まれつきなので、それを不便と感じたことはない。網膜色素変性症と診断されたのは中2のときだが、福永さん本人が知ったのは高2の夏。母親から病気について聞きたいかと尋ねられ、教えてもらった。「小学生の頃から視野が狭く、つまずいてしまうことも多かった。その原因がわかり、逆に安心しました。あとは前を向いて歩くだけですから」

「なんとかなるさと思っているんです」と笑う。周囲が過剰に心配すると、「そんなに大変なことなの!?」と逆に驚いてしまうこともあるほどだ。

本の中にライバルを見つけた

昨年、本を読んで得た気付きや、行動したことを織り交ぜて感想文をつづる「第43回全国高校生読書体験記コンクール」(一ツ橋文芸教育振興会主催)に挑戦。『最初に夜を手ばなした』(椿冬華著、マガジンハウス)の読書体験記で、全国高等学校長協会賞を受賞した。

同書は生まれつきの難聴と、網膜色素変性症をあわせ持つ「アッシャー症候群」を抱える作者が自身の半生をつづった作品だ。「この本の主人公も、著者の椿さんも病を抱えている。私はもともと負けず嫌いなので、本の中にライバルを見つけた感じがした」と振り返る。

だんだんと目が見えなくなっていく主人公は、「夜」「ボール」などを少しずつ「手ばなして」いく。「私も、手ばなしかけているものがあるので、その感覚がよく分かる。バドミントンが大好きだけど、飛んできた羽根は見失ってしまうので打ち返せない。夜のシーンとした雰囲気が好きだけど、周囲が見えづらいから外出を控えます」

障害は「私にとっては当たり前」

読書体験記を通じて伝えたかったのは「聞こえづらい、見えづらいのが私の日常」だということ。耳と目に障害を抱えることを知った人から、これまでに何度も「大変そうだね」と言われてきた。福永さんは「障害のことを言葉にしてもしなくても、深刻そうに受け止められる。そんなに深刻なことなのかな」と思う。

「私にとってはこれが当たり前。はっきり聞こえる、よく見える状態を経験したことがないので、つらいと思うことはないんです。『障害がある』というと、とても苦労しているように捉える人もいると思うけれど、私のように障害を淡々と受け止めている障害者もいる。特別扱いしないで構わない」

グラフィックデザイナーを夢見て

高校は寄宿舎生活。忙しさから一人の時間がなくなると、パンクしそうになることもあった。そんなときは趣味に没頭する時間を持ち、毎日を楽しんでいる。「子どもの頃から絵を描くことが大好き。この間はCDジャケットを半日かけて黙々と模写してました」

著者の椿冬華さんは自身を絵本にし、インターネットで伝えていると知った。「作者の行動力はすごい。私も絵と文を書くのが大好き。『やってみたい』と刺激を受けました」

4月からは大学に進学しデザインを学ぶ。「音楽も好きなので、音楽の魅力をデザインで伝えられるようになりたい」。グラフィックデザイナーを夢見て新しい一歩を踏み出す。

福永さんの読書体験記
前を見て躓く、それでも
筑波大学附属聴覚特別支援学校 3年 福永心雪

昔、私はよく母に「前を見て歩きなさい」と叱られていた。常日頃、何かにぶつかったり、躓(つまず)いたりしていたからだ。しかし、私はどうしても母のその言葉に納得できなかった。言われた通りにしているのに、なかなか改善できない私は「前を見ればぶつからないというのなら、何故私はこんなにぶつかってばかりなんだ」と、いつも心の中でふてくされていた。時には私が自覚している「前」さえ疑い出し、もうどこを見たっていいや、と半ば投げやりになっていた時期もあった。勿論、それでは逆にぶつかりやすくなってしまうので、結局前を見るスタイルに戻ったが、ずっと心は晴れないままで小学生時代を過ごしていた。しかし、中学生の時に眼科で受けた診断によって私達の認識は大きく変わった。

「網膜色素変性症」

それが私の診断結果だった。母によれば徐々に視野が狭くなっていく目の病気だという。他にも夜盲や羞(しゅう)明(めい)など進行するにつれて目が見えづらくなる難病。その進行は個人差が大きく、徐々に進行して失明することもあれば、一生良好な視力を保つこともあるらしい。また、その病気の人は視野狭窄(きょうさく)によってぶつかりやすくなる特性が見受けられるそうだ。

それを知った時、前を見ることへの主張のぶつかり合いはどちらか一方がおかしいことを言っているのではなく、私も母もそれぞれ正しかったのだと気づいた。これを機に、母から「前を見て歩きなさい」とは言われなくなり、私も注意したところでぶつかるのならそれはそれで仕方ないと割り切って受け入れられるようになった。結果的に難病の診断結果はそれまでの悩みを解決させてくれたのである。しかし、それだけでは終わらなかった。

時が経つにつれて私は難病が引き寄せる未来が怖くなってきたのである。もしも、今は止まっている症状がまた進行を始めてしまったら……そう考え出すとキリがなかった。今まで見えていた視界が徐々に狭まって、穴が空いて、蝕(むしば)まれて、やがては見えなくなっていく、その時私は平静を保っていられるのだろうか。元々耳も聞こえない

私にとって重要な情報手段である視覚を失うことは、世界を失うに等しい。事態は思っていたより深刻なのかもしれない。私は重度の難聴と網膜色素変性症を抱えながら生きていけるのだろうか。不安が頭から離れなくなって、自信を無くしかけたその時、

「最初に夜を手ばなした」

ふと、こんな言葉を思い出した。これは、難病を抱えたとある少女の半生を描いた絵本のタイトルである。「アッシャー症候群」――先天性難聴と網膜色素変性症が合併した難病、そんな病気と向き合いながら前向きに生きようとする少女の物語。初めてこの絵本を読んだのは、まだ私も網膜色素変性症であることが判明していない頃で、当時は彼女の力強い生き様に感嘆しつつもどこかで他人事(ひとごと)のように感じている私がいた。まさか自分も同じ境遇に立たされる時がくるとは……青く彩られた薄い絵本のページをもう一度めくりながら、そんな自分がいたことを恥じた。「夜」「ボール」「みんなで」等、少女が成長するにつれて手ばなしていったもの達、そして私もいずれ手ばなすかもしれないもの達。私はまた怖くなった。少しずつ失っていくことに思い当たる節があったからである。私は夜は好きだが夜道を歩くことは苦手で、暗い時にあまり外にいたいと思わなくなった。昼は好きではない。特に晴れの日は私には眩(まぶ)しすぎて苦手だ。そういう意味では、私は既に「夜」を手ばなし、「昼」も手ばなしかけているのではないか。そうして心に体が追いつかなくなって、少しずつあらゆることから離れていって、できないことがじわじわと増えていく。寂しい。世界を彩っていたものが徐々に蝕まれ、人と分かち合えるものが減っていくのはきっと寂しい、私はそう感じた。もしかすると、物語の少女も色んなものを手ばなしながら、そんなことを思っていたのかもしれない。しかし、終盤の少女はただ前を見据えていた。

「できる? できない? そうではない。やるか。やらないか。だからわたしは諦めない」

闇が確かに迫ってくる中でも試行錯誤を繰り返し、新たに世界を得ていく彼女はとても逞(たくま)しかった。そんな彼女を見ていると、私の中で眠っていた負けず嫌いな競争心が目を覚ました。私も彼女に負けないくらい力強くありたい。いずれ見えなくなっていく未来を不安がる暇があるなら前を見て歩かねばならない。そう奮い立った。ただし、うっかり者の私は前を見ていても相変わらず躓いたり、転んだり、ぶつかったりするだろう。それでも、私はまた歩きだす。趣味の作詞も読書も絵を描くことも、やりたいことはまだまだたくさんある。やらないままで終わる訳にはいかない。

私は難病が連れてくる未来を受け入れ、その上で粘り強く前向きに私の人生を生きてみせよう、と心に誓い静かに絵本を閉じた。

体験書籍
『最初に夜を手ばなした』(椿冬華著、マガジンハウス)

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