今とは別の世界でコミュニケーションをしたことはありますか?暗闇での対話が多様性を気づかせる理由

今とは別の世界でコミュニケーションをしたことはありますか?暗闇での対話が多様性を気づかせる理由

同時通訳者として、ビル・ゲイツ、デビッド・ベッカム、ダライ・ラマ、オードリー・タンなど世界のトップリーダーと至近距離で仕事をしてきた田中慶子さん。「多様性とコミュニケーション」や「生きた英語」をテーマに、現代のコミュニケーションのあり方を考えていきます。今回は、バースセラピストで、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の総合プロデューサーを務める志村季世恵さんとの対談をお届けします。ダイアログ・イン・ザ・ダークは、暗闇の中、視覚障害者のアテンドで参加者間が対話を行う「暗闇のツアー」であり、ソーシャルエンターテインメントです。暗闇の中での「対話」で何が起こるのか? そこから見えてくる真の「ダイバーシティ・アンド・インクルージョン」とは?(文・構成:奥田由意、編集・撮影:ダイヤモンド社 編集委員 長谷川幸光)

暗闇を歩くことで感性が開かれる
自分の中の知らない一面を知ることができる

田中 よろしくお願いいたします。まずはあらためて、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」とは何か、概要を教えていただけますか。

志村 真っ暗な空間の中で、目の見えない人に案内をしてもらいながら、参加者たちと「対話」をします。

暗闇での体験を通し、人と人との関わり合いや、対話することの大切さ、自身が持つ五感の豊かさを感じることができます。

田中 暗闇の中では、自分を俯瞰(ふかん)することで世界が拡張され、「自分は世界の多様性の中にいるんだ」という自覚を持つことができるんですよね。それまでと違うものが見えるようになる。

同時に、自分の中の知らない一面を知り、自身の中にも多様性があることを感じることができる。その不思議な感覚を体験するために、私も何度か参加させていただいています(※)。
※東京都港区の浜松町、劇団四季の劇場もあるアトレ竹芝内の「対話の森」ミュージアムで常時、体験することが可能(予約制)

志村 暗闇の中を歩くことで、視覚以外の感性が開かれます。同じ回の参加者たちと自然と協力し合う中で、開くこともあるようです。すると、自身が持つ豊かな感性など、それまで気づいていなかった多くの発見に出会えるんです。

田中 自分がこれまで、いかに限定された範囲の人々としか接していなかったかを思い知らされるんですよね。親しい人と一緒に行ったときは、「この人、こういう一面もあるのか」と知らなかった面を知ることもできる。一定の関係性があっても、普段は決まった枠組みの中で、その人の一側面しか見ていないと気づくんです。何より、暗闇の中で普段と違った体験をすることは、シンプルに楽しいですよね。

志村 「暗闇の対話ツアー」というソーシャルエンターテインメントともいえ、プログラム内容は定期的に変わりますので、参加するたびに新たな驚きと発見があると思います。

1人でも、誰かと一緒でも、また、一緒に来る人によっても、毎回違う発見があるのです。参加者が知らない人同士でも、90分のツアーが終わると、「別れ際が何だかさびしい」と言う人が多いんですよ。

普段は初めて会う人同士というのは、お互いの殻が破れて距離が近づくまでに時間がかかりますよね。でも暗闇の中ですと、自ずと殻が破れてきて、あっという間に、人と人との距離が近づくのです。

田中 暗闇の中だと、コミュニケーションについて深く考えさせられるんですよね。例えば、相づちを打ちたくても、うなずくだけでは暗闇の中では見えないので、声に出して伝える必要がある。コミュニケーションというのは、ボディランゲージが補完している部分がこんなにも大きかったのかと、普段、意識していなかったことに気づいて、がくぜんとします。

普段、私たちは、「この人は何歳くらいかな」とか「こういう仕事をしているのかな」とか、相手を見た目で判断する傾向があります。でも暗闇の中では、外見もわからないので、いや応なしにコミュニケーションのみで人となりを知ることになる。私がしている通訳という仕事はコミュニケーションに大きく関わるので、とても貴重な体験なのです。

志村 私たちの予想を超えた暗闇の使い方もあるようです。交際をしていた人からプロポーズをされた。でも決め手がほしい、暗闇の中だと相手の本質が見れるかもしれない。体験後、「彼の優しさは本物だった!」と、そこで結婚を決めたという人もいます。

田中 参加者間で、恋が芽生えたりもしそうですね(笑)。

健常者にとって非日常である暗闇では
「社会的弱者」との境界がなくなる
志村 ええ、実際にそういう人たちもいますよ(笑)。

それに、こういうこともありました。初めて参加した人が、ツアー終了後にぼろぼろ泣いているんです。「私は人間が好きだったんだ」と。

その人は、毎日、満員電車に乗っているうちに、他人が煩わしい存在に思えてきた。人とぶつかるたびに他人を疎ましく思っていた。自分は人が嫌いで、そんな自分も嫌いになり始めていた。

でも、自分の中に「人が好きだ」という気持ちがあることがわかり、涙があふれてきたというんです。そのように、自己肯定感が上がるきっかけになることもあるのです。

田中 志村さんは、以前、ダイアログ・イン・ザ・ダークについて、「普段、住む世界ではないところに入っていくための装置」だとおっしゃっていましたね。

志村 はい。健常者の多くは、暗闇は非日常ですよね。そこに1人で放り込まれると恐怖を感じるでしょう。一方で、視覚障害者にとっては、暗闇は日常です。そこに彼らは恐怖も不自由さもほとんど感じない。その世界では、彼らがいてくれるからこそ、健常者も楽しむことができるのです。

ダイアログ・イン・ザ・ダークという装置は、暗闇の空間さえあれば成立するというわけではありません。視覚障害者がアテンドすることにこそ、意味があるのです。

田中 アテンダントは何名いらっしゃるのですか?

志村 私たちの団体には、約40人の視覚障害者が在籍しています。

田中 これまで世界47カ国以上で開催され、900万人を超える人々が体験していると聞きました。日本では初開催が1999年で、以降、24万人以上が体験しています。志村さんは、世界の中で唯一、日本独自のコンテンツを開発することを許可されているのですよね。

志村 このダイアログ・イン・ザ・ダークは、1988年にドイツの哲学博士である、アンドレアス・ハイネッケ氏の発案で始まりました。ハイネッケ氏は「自分には3つの願いがある」と言っています。

「対等の出会い」によって、自分と異なる人々との関係性を変えること。「自分と異なる人々」と対話して、社会を良くすること。そして、職に就きにくい人や、働きたいのに働けない人に、雇用を創出すること。この3つです。

私は、セラピストをしているため、こうした経験を認めてくれたのか、または、視覚障害者の人と一緒にハイネッケ氏の思想を実現しようとしたことが、彼の信頼を得ることができたのかもしれません。

ドイツ人の父とユダヤ人の母のもとに生まれたハイネッケ氏は、ナチスの血を引いており、同時に、母方の親類はユダヤ人収容所で亡くなっています。そのことを子どもの頃に知って、衝撃を受けたといいます。なぜ、民族や文化が異なると、暴力や差別が生まれるのか? そのことを探求するために、哲学を修め、哲学者のマルティン・ブーバー氏に出会います。そして、異なる文化が融合するためには「対話」が必要である。対話が成立するためには、両者が対等な空間にいて、対等な関係性がなければならない。このことを深く実感したのです。

田中 今おっしゃった、「対話が成立するためには、両者が対等な空間にいて、対等な関係性がなければならない」ということは、例えば企業においては、上下関係が前提にあると、忖度(そんたく)してしまって本音が言えず、対話が成立しない、ということですよね。

志村 そうですね。そのため、ハイネッケ氏は、人と人とが対等にコミュニケーションを取るためにはどうすればいいかを考えます。そして、視覚障害者とともに働いた経験をもとに、暗闇という空間であれば、視覚障害者も健常者も、対等な関係になれると考え、ダイアログ・イン・ザ・ダークを創始するのです。

田中 なるほど、ダイアログ・イン・ザ・ダークというのは、「人と人とが対等になるための装置」でもあるのですね。

志村 普段の社会においては、視覚障害者というのは弱者として扱われます。その弱者が、暗闇の世界を案内し、対話をファシリテーションする。これがダイアログ・イン・ザ・ダークの核であり、そこからすべてが始まっているのです。

大きな石の間を小さな石が埋めることで強固になる
「ダイバーシティ」の本質

田中 これまでのお話は、「視覚」障害者がアテンドするプログラムについてでしたが、「聴覚」障害者がアテンドするプログラムも、不定期で開催していますね。

志村 はい。「ダイアログ・イン・ザ・サイレンス」です。

田中 以前、このプログラムにも参加したことがあるのですが、アテンダントである聴覚障害のかたが、「読唇」(※相手の唇の動きから話している内容を読み取ること)してくれるため、私たちは普段通りに会話をしていました。

そのとき、真介さん(※ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表の志村真介氏)も参加していたのですが、アテンダントが真介さんに「もっとはっきりと唇を動かしていただくことはできますか」と伝えたのですね。真介さんは過度に恐縮したりすることなく、「ああ、ごめんごめん」と言っていましたが、私はそれをみて、「ダイバーシティ&インクルージョン」が少し理解できた気がしました。

さまざまな人が共生する社会をつくりたい。でも、ただ「多様な人たち」が集まればいいというわけではない。いろいろな人が集まっているので、当然、お互いのニーズもわからないし、相手は何が苦手かもわからない。だから、対話に必要な要求を相手にきちんとしてみる。その要求は、決して一方的な要求ではなく、相手を理解したいがために必要な要求であり、要求されたほうも、相手を理解するために、できる限りそれに応えようとする。そのやりとりが至極、自然に行われる――。

「ああ、これがダイバーシティ&インクルージョンなのかもしれないなあ」と思ったのです。

志村 以前、田中さんは、「相手の言っていることが理解できないとき、わかっていないのに適当にうんうんと相づちを打つのは何だか申し訳ない。わからないときはわからないと言ったほうが、結果的にお互いにハッピーになるんだ」とおっしゃっていましたね。

わかり合うために主張をする。お互いの強みや弱みを理解する。このことは、とても大事なことですよね。それは健常者と障害者の間だけでなく、家族間でも、組織間でも、同じように重要です。

ダイアログ・イン・ザ・サイレンスを始めるとき、聴覚障害者が「(私は日本人だけれど)私のことを外国人だと思ってね」と私に手話で言うのです。私は最初はどういうことかわかりませんでした。

聴覚障害者は手話を使います。手話の文法というのは、健常者が日常で使う日本語の文法とは、だいぶ異なります。つまり、言語が異なるので、外国人と接していると思ってコミュニケーションを取ってみてほしい。しばらくして、そういう意味だったのかとわかりました。

田中 言語が違うと、文化も思考プロセスも違いますものね。

志村 田中さんには釈迦に説法かもしれませんが、「ダイバーシティ(多様性/Diversity)」という言葉には、「それぞれに異なる方向を向いている」という意味があります(※)。ダイバーシティというのは、それぞれの強みを活かしていく、ということなのです。
※「di」は「別の」「離れた」、「verse」は「向く」「向きを変える」といったニュアンスがある

例えば、城壁に使う石は、大きければいいというわけではありません。大きな石の間に、隙間を埋める小さな石が必要です。その石があることで城壁全体が強固になっている。小さくても、なくてはならない重要な存在です。組織も同じで、同質の人を集めても強いチームにはなりません。一見、頑丈に見えても、必ずどこかで崩れます。

病気や家庭の事情で1日3時間、週3日しか働けない人がいるとします。だからといって、その人の持ち味が発揮できる場を奪われるのはもったいないですよね。お互いの事情を知って、うまく組み合わせてチームをつくれば、皆の持ち味を活かすことができるかもしれません。

「ダイバーシティ」というのは、多様な人たちを集めることが目的なのではなく、多様な人たちそれぞれの持ち味を活かすことこそが、本質なのです。

田中 同質性の高い集団の中というのは居心地がよくて、つい、自分たちとは違うタイプの人たちがいることに目を背けがちです。でも、自分と違う意見や、違う事情を抱える人と、出会い、対話していく。そこには当然、違和感があったり、拒絶したくなったりするかもしません。でもそれをしなければ、いつまでたってもダイバーシティを理解することはできないし、自分自身も成長しませんね。

志村 もし同じ場に、苦手な人や嫌いな人がいたとしても、必ずどこかに共通点があるものです。なぜなら、「同じ場にいる」ということは、大きな目的は共通しているのですから。そこへ向かうプロセスや哲学が、自分と合わないだけなのです。

そこを、対話を通じて理解すればいいのです。「こういう道順で向かいたかったんだ」「こっちの道のほうが早道だよ」「そちらは試したことがあるけれど足場が悪いよ」と。

田中 ゴールは同じでも考えている道順が違う。そこで対立が起こる。違いや差を無理に埋める必要はなく、違いや差があることを、対話を通じて理解することが大事なのですね。

日本では「ダイバーシティ」が
ただの制度として捉えられている傾向がある

田中 今のダイバーシティの本質についての話で思い出したのですが、通訳の仕事で「ダイバーシティ」を英語に訳すとき、毎回、とても悩むのです。今お話されたような意味と、日本で使われている意味、お互いが大きくかけ離れているためです。

日本においては、「ダイバーシティ」がただの制度として捉えられているフシがあって、社員だけでなく社長でさえも、「障害者も外国人も雇用しています」「弊社はダイバーシティを取り入れています」と言う人もいたりします。何のためかわからないけれど、制度だからやっている、と。

もちろん、制度があるのはいいことですし、制度が後押しをしてくれることもあると思うのですが、どういうニュアンスで「ダイバーシティ」という言葉を使っているのか、見極めが本当に難しいんですよ。

志村 なぜ障害者や外国人を雇用するのか、なぜ多様な人たちと働くのか。働く人が多様であればさまざまなアイデアが生まれ、イノベーションが起きやすくなって、結果、企業の売り上げに貢献する。アイデアを活性化させるためには、お互いに何が得意で何が苦手なのかを知っておきましょう――。本来はこういうことだと思うのです。

皆が目的さえ見えていれば、皆でそれに向かっていくほうが幸せに決まっています。そうすれば、誰でも能動的になれるはずです。ですから、たとえ、制度であっても、なぜその制度が必要なのか、やはり経営層は説明できなければいけませんし、もっと従業員に説明しなければいけません。

「決めたからやりなさい」では人は能動的にはなれず、ただの負担となります。私も、誰に頼まれるわけではなく、世の中がハッピーになるといいなと思って、楽しいからダイアログ・イン・ザ・ダークをやっています。

良い仕組みもたくさんあります。私はダイバーシティに関する企業研修の依頼をいただくことも多いのですが、企業の方に私たちの団体に来ていただき、私たちもその企業を体験する。こうした交換留学のようなこともおこなっています。私たちのところに来ていただいたことで、障害者雇用に関する認識が変わったとおっしゃってくださる方も多いので、このような仕組みというのは、とても希望があるなと思いました。

型から入ったって別にいいのです。仕組みがあれば、実際に人は来ますから。問題は、一度仕組みをつくると、それを変えることができなくなってしまうことです。仕組みを活用するのではなく、仕組みにひたすら合わせるようになるんですね。私はそれを「仕組みに乗っ取られている」と言っています。

でも、仕組みいうのは、もともと人間が、自分たちにとって良い効果を生むようにとつくったものです。そのためには変えたっていいのです。そもそも仕組みやルールは、意識的に壊していくものなのです。

障害者は人生が真っ暗なわけではない
先入観を打破するには「出会い」と「対話」

田中 今後の展開をお聞かせください。

志村 先ほどお話に出た不定期開催の「ダイアログ・イン・ザ・サイレンス」が、今年(2024年)の1月13日から始まりました。来年(2025年)、耳が聞こえないアスリートのためのオリンピック「デフリンピック」が東京で開かれます。それに向けてという意味合いもあります。

田中 パラリンピックとはまた別なのですね。

志村 聴覚障害者は、競技が始まる際のスタート音が聞こえないため、パラリンピックには出られないのです。これまで「手話は言語ではない」とされてきたため、手話は言語であることを、正式にきちんと認めようという「手話言語条例」というものがありますが、現時点でこの条例が成立しているのは36都道府県であり、全県ではないのです(※)。
※参考:2023年11月10日現在。参考:全日本ろうあ連盟「手話言語条例マップ」https://www.jfd.or.jp/sgh/joreimap

耳が聞こえない人たちというのは、目が見えない人たちよりも、実はまだまだ不遇な面が多いのです。

ほかには、「ダイアログ・ウィズ・タイム」というのを今年(2024年)の4月から開催予定です。人生を豊かに歩んでいる高齢者のアテンドで、生き方について対話をするというものです。

田中 ダイアログ・イン・ザ・ダークは1999年から日本で開催されていますが、そこから見えてきた日本の課題はありますか。

志村 1つは、日本の教育のあり方です。

ダイアログ・イン・ザ・ダークは小学校1年生から参加できるのですが、ほかの40の開催国では、参加者の67パーセントが子どもです。一方、日本では3%です。

田中 なぜ、それほど差があるのでしょうか。

志村 ダイアログ・イン・ザ・ダークを体験すると、さまざまな人と出会い、お互いに認め合う力を養うことができます。大人だけでなく子どもにも役立つのです。

そのため、ほかの開催国の多くは、ダイアログ・イン・ザ・ダークの体験を学校教育に取り入れています。それと比べて日本は、国のサポートが非常に少ない現状があります。そのため、学校教育で参加する子たちも限られているのです。

世界では、ダイアログ・イン・ザ・ダークを教育に取り入れたことで、いじめが減少したという報告もあります。日本では子どもの自殺率は増加傾向にあり、ユニセフの2020年の調査では、先進国38カ国のうち、日本の子どもの幸福度は37位です(※)。
※参考:日本ユニセフ協会「イノチェンティ レポートカード16 子どもたちに影響する世界 先進国の子どもの幸福度を形作るものは何か」(日本語版2021年2月発行)https://www.unicef.or.jp/library/pdf/labo_rc16j.pdf

しかし、国がこうした状況に対して具体的な施策を打つ気配も、教育に力を入れる気配もなく、国は子どもたちの未来を本気で考えていないのではないかという気さえします。日本の教育施策は遅れていると言わざるを得ません。私たちの活動もクラウドファンディングなどで資金を集めながら続けています。

もう1つは、健常者が障害者に触れるための接点がほとんどないことです。そして、それゆえに障害者とフラットに接することができない。

田中 どういうことでしょうか。

志村 学校に障害者を呼んで講演をしてもらう、こうした取り組みをしている学校は多くあると思います。それ自体は素晴らしい取り組みです。でも依頼側の希望は、「普段、困っていること」や「どういうふうに助けてほしいか」「(障害によって)苦労したこと」を話してくださいというものがほとんどです。

視覚障害者や聴覚障害者は、目が見えなかったり、耳が聞こえないからといって、人生が真っ暗なわけではありません。困っていることばかりではありません。それなのにどうしても「障害者の人はかわいそう」という先入観がつきまとうのです。それはある意味、仕方がないことで、先入観で考えざるを得ないほど、あまりに障害者との接点がないのです。

ですので、フラットな状態で一緒に遊んだり、関わったりできるための「接点」が必要です。理想をいえば、学校のクラスや会社の職場に、当たり前のように障害者がいる社会になってほしいのです。

 そのためにはやはり、出会いと対話が必要です。人と出会い、世の中にはいろいろな人がいるということを知る。そうすれば、対話してみようかなと、次の道が開かれる。そこから本当の多様性が見えてくるはずです。

田中 ビジネスの現場や教育現場のほかにも、例えば、国会議員などの政治家も必ず体験するようになれば、世の中の見え方や自身のスタンスにも変化が生まれるかもしれませんね。ひとりでも多くの人にダイアログ・イン・ザ・ダークを体験してもらえるよう、これからもいろいろな人を誘って参加したいと思います。ありがとうございました。

田中慶子(たなか・けいこ)
同時通訳者。Art of Communication代表、大原美術館理事。ダライ・ラマ、テイラー・スウィフト、ビル・ゲイツ、デビッド・ベッカム、U2のBONO、オードリー・タン台湾IT担当大臣などの通訳を経験。「英語の壁を乗り越えて世界で活躍する日本人を一人でも増やすこと」をミッションに掲げ、英語コーチングやエグゼクティブコーチングも行う。著書に『不登校の女子高生が日本トップクラスの同時通訳者になれた理由』(KADOKAWA)、『新しい英語力の教室 同時通訳者が教える本当に使える英語術』(インプレス)。Voicy「田中慶子の夢を叶える英語術」を定期的に配信中

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