2024年11月12日 12時00分 公開 [本田雅一,ITmedia]
今回はまず、少しだけ“与太話”をさせてほしい。
最近でこそ、Appleのオーディオ機器もある程度は評価されるようになっている……という表現も失礼か(何しろ、ワイヤレスイヤフォン市場ではトップメーカーなのだから)。しかし。以前は「Appleのオーディオ機器は音質が良くない」という評判が定着していた。
写真で例えるなら、「被写体の質感描写はなく、ただなめらかできれいに見える」ことを「高画質」と評価するようなものだ。耳触りは良くても、情報量が乏しく、演奏が本来持っているニュアンスや情熱、質感が伝わってこない。そして何より、空気感が希薄で、音場の雰囲気を感じ取ることができない。
空虚で実体感に乏しく、不快な音は出さないものの、魂が抜けたかのような音楽になる――筆者も、Appleファンが読んだら怒り出すような評を書いたこともある。
そんな「マニアの話」はどうでもでもいいだって? 実はこの話、今回のコラムに大きな関係がある。
Appleはオーディオにまつわるさまざまな問題解決を、従来のオーディオメーカーとは異なるアプローチで進めている。現状では、その戦略を完全にやり切っているわけではないが、音質面に限らない取り組みを着実に進めている。
このコラムの最後には音質の話もするが、まずは話題の「AirPods Pro 2」における聴覚(ヒアリング)補助機能について話をしよう。
Appleのオーディオ機器の進化のアプローチとは?
「iOS 18.1」で実装されるAirPodsの聴覚補助機能
Appleは10月28日にリリースした「iOS 18.1」「iPadOS 18.1」において、AirPods Pro 2向けに以下の聴覚補助機能を新たに搭載した。
- ヒアリングチェック:ユーザーの聴覚の衰えなどをテスト可能
- ヒアリング補助:聴覚の衰えに応じて、出力される音を補正
- アクティブ聴覚保護機能(機能拡充):モードを問わず、大きすぎる音を抑制
AirPods Pro 2では、「外部音取り込みモード」が有効な場合、急に大きな音が入ってくると自動的に音量を抑える「ハイダイナミックレンジマルチバンドコンプレッサ」を既に実装しているが、アクティブ聴覚保護機能はそれを拡充し、外部音取り込みモード以外でもあらゆる“大音量”から聴覚を保護できるようになる。
上記の機能はハードウェア側の対応も必要となるため、現状ではAirPods Pro 2以外のAirPodsシリーズでは利用できない。また、アクティブ聴覚保護機能については「macOS Sequoia 15.1」を搭載するMacでも利用可能だが、現時点では米国とカナダでのみ有効となる。AirPods Pro 2自身のファームウェア更新も必要だ。
iOS 18.1で実装されたAirPods向けの新機能。「AirPods向け」とはいうものの、いずれも現状ではAirPods Pro 2でのみ利用できる
AirPods Pro 2の聴覚補助機能とは?
iOS 18.1(とiPadOS 18)で実装されたAirPods Pro 2用の聴覚補助機能を、もう少し深掘りしてみよう。
まず、ヒアリングチェックは、アプリを使って「気導聴覚検査」を実施する機能だ。ちょっと難しそうな名前だが、健康診断などでも行われる基本的な聴覚検査そのものである(参考リンク)。
健康診断では簡易的に「1kHz」と「4kHz」の2つの周波数で検査を行い、30dBHL(※1)以下の音を聞き取ることができれば「正常」と診断される。それに対して、AirPods Pro 2では「125Hz」から「8kHz」の7段階の周波数で、左右それぞれの耳における応答をチェックするようになっている。
(※1)dbHLは「聴力レベル」の単位。一般的な健康診断の場合、1kHzでは30dbHL(ささやき声と同等)、4kHzでは40dbHL(小さな声と同等)の音を流してチェックを行う
Appleは、「管理医療機器販売者」としてこの機能を届け出て、厚生労働省から承認されている(※2)。そのため、医療グレードの品質は保証されている。ただし、承認はヒアリングチェックアプリ、つまりソフトウェア機能に対して行われているため、AirPods Pro 2自体が「聴覚検査機器」として承認されているわけではない。
なお、Appleは2019年からWHO(世界保健機関)と共同で本機能に関する臨床調査を行い、200人の難聴の被験者を対象に機能のランダム比較テストを行ったところ、より厳密な医療機関でのテストとの一致度は81%だったという。
(※2)販売者として承認を受けたのは、日本法人の「Apple Japan合同会社」となる(以下同様)
AirPods 2 Proによるヒアリングチェック機能は、日本でも利用できる
ヒアリングチェック機能は、厚生労働省から「管理医療機器」としての承認を受けている。ただし、承認はiOS 18/iPadOS 18に搭載された「家庭用プログラム」(ヒアリングチェックアプリ)に対して行われており、AirPods Pro 2自身が聴覚検査機器として承認されているわけではないので注意が必要だ
ヒアリング補助は、ヒアリングチェックで得られた「オージオグラム(聴力感度の特性グラフ)」に基づいて、ユーザーの聴力を補うために再生する音声の特性を“補正”する機能だ。補助は軽度~中等症までの難聴を持つ人を対象としている。重度の難聴に悩む人は対象ではないが、カバーできる範囲は決して狭くはない。
本機能でやっていることは、まさに管理医療機器としての「補聴器」と同じで、厚生労働省から承認も受けている。ただし、先に紹介したヒアリングチェックと同様に、承認はソフトウェア機能に対して行われている。AirPods Pro 2自体が補聴器として承認されているわけではないことには注意したい。
AirPods 2 Proによるヒアリング補助機能も、日本で利用可能だ
ヒアリングチェック機能は、厚生労働省から「管理医療機器」としての承認を受けている。ただし、承認はiOS 18/iPadOS 18に搭載された「家庭用プログラム」(ヒアリング補助設定)に対して行われており、AirPods Pro 2自身が補聴器として承認されているわけではないので注意が必要だ
ヒアリングチェック/ヒアリング補助機能への対応は共に、AirPods Pro 2自体が日本における聴覚検査機器や補聴器となることを意味しない……のだが、「それじゃあ無駄か?」というと、決してそんなことはない。
WHOが2021年に初めて取りまとめた「世界聴覚報告書」を見てみると、軽度~中等症までの難聴を持つ人は思っている以上に多い。この報告書によると、全世界には15億人の難聴者がいて、そのうち10億人以上は軽度~中等度の難聴だという。日本でも約1430万人の難聴者がいるとされており、これは人口の1割を超えている。
「難聴であれば、補聴器を使えば良いのではないか?」と思う人もいるだろうが、難聴の症状があっても、補聴器を保有していないケースは少なくない。海外では補聴器の購入に医師が発行する「処方せん」が必要な国/地域もあり、補聴器の購入自体が“ハードル”となっているケースもある。日本の場合、補聴器の購入時に処方せんは必須ではないが、個人に最適化された性能の良い補聴器はかなり高額な上、買える場所が限られる。
筆者には、人間の声に近い周波数帯の音を聞くと「耳鳴り」が発生するという知人がいる。この知人はTVや映画を見る際にセリフが聞き取りにくいというものの、近傍での会話や街中で自動車の運転には問題がない。ゆえに「補聴器を使うほどではない」と考えているそうだ。
このような軽度~中等症の難聴を抱える人にとって、手軽に使えるAirPods Pro 2を通して聞こえに関する問題が緩和できたとすれば、補聴器の有用性を理解できる良い機会になるかもしれない。
聴覚補助機能は「耳の健康」を守る上で大切
筆者が実際にヒアリングチェックを行ったところ、左右の耳の聞こえ具合は共に「4dBHL」という結果となった。そのため、新たに追加された聴覚補助機能による補正がどのようなものか、自分で体感することはできなかった。
筆者がiOS 18.1とAirPods Pro 2でヒアリングチェックを行ったところ、左右の耳は共に「調整(補正)は不要」とされた
AirPods Pro 2のバッテリー駆動時間は、公称で最大6時間とされている。そのこともあり、聴覚補助機能が発表されてから「こんなに駆動時間が短くては補聴器の代替にはならない」という辛辣(しんらつ)な声もあった。
しかし、AppleはAirPods Pro 2で「補聴器の代替」を狙っているわけではない。「耳の健康」を守ることに意識を置いている。
ご存じの通り、Appleは以前から、AirPods Pro 2においてハイダイナミックレンジマルチバンドコンプレッサという機能を搭載している。これはアクティブノイズキャンセリング(ANC)技術を応用して、難聴のリスクがある大きな周辺音を、違和感を最小限に抑えつつ、適切なレベルまで引き下げるという聴覚保護機能だ。
今回追加されたヒアリング補助機能では、「聴覚が健康なら問題なし」と済ませるのではなく、ユーザーに聴覚を健全に保つための情報を与えている。米国とカナダ限定とはなるが、アクティブ聴覚保護機能も、音楽を楽しむ課程で起こりうる難聴を防ぐ文脈で搭載されている。
AirPods Pro 2では、大きな音を聴覚に影響のないレベルに抑える「ハイダイナミックレンジマルチバンドコンプレッサ」という機能を備えている。米国とカナダでは、アクティブ聴覚保護機能によって外部音取り込みモード以外でも音量抑制を適用できるようになった(しかも、標準で“有効”とされている)
若年層における後天性難聴の原因として、「ヘッドフォンなどで大音量を聴き続けてしまった」「スピーカーや爆発物の近くで突然大きな音にさらされた」といった事象が挙げられる。後者については、いわゆる「爆音コンサート」においてありがちだったりもする。
難聴は身体的/認知的なパフォーマンスの低下をもたらすという研究もある。認知症の発症リスクを高める可能性も否定できないため、厚生労働省でも難聴対策の取り組みを継続的に行っている。
→難聴への対応に関する連絡会議(厚生労働省)
iOS/iPadOS 18.1を搭載するiPhone/iPadとAirPods Pro 2を組み合わせると、ヒアリングチェックによって難聴の早期発見が行える上、ヒアリング補正によって本来の聴覚との違いを認識できる。そうすれば、難聴が進行する前に適切な医療機関で受診するきっかけにもなりうる。社会全体では、難聴の先にある認知症のリスクを抑えられるかもしれない。
難聴を初期段階で把握することで、その後に続く症状の悪化や疾病の予防にもなる。
Appleの「オーディオ」への向き合い方
話を変えよう。AirPods Pro 2以降、Appleのオーディオ製品はBeatsブランドではなくても(=自社ブランドであっても)音質が良くなっている。そういう観点では「AirPods Max」のフルモデルチェンジ(※3)に期待したいところだが、それはさておいてAirPods Pro 2以降の新製品は「特に害はないものの、中身のないスカスカな音」と評されるような状況から抜け出し、一定水準以上の音質は確保できていると思う。
そこに「温度感」や「熱さ」といったものは感じないかもしれないが、「まっさらなTシャツとジーンズのような質感」だと考えれば、Appleの企業イメージも相まって納得できる範囲ではある。
(※3)2024年9月に充電端子をUSB Type-Cに変更し、カラーバリエーションを追加した新モデルが登場しているが、機能や音質面は2020年に発売された初代モデルと変わりない
2020年に初登場したAirPods Maxは、2024年9月に充電端子を変更し、カラーバリエーションを追加した「AirPods Max(USB-C)」に切り替わったが、それ以外のスペックは初代と変わりない。つまり、音質面も“そのまま”となっている
そもそも、Appleが「音の質感」という“マニアックな世界”に足を踏み入れる――そう考えている人も多いかもしれないが、実はそんな事はない。Appleは一貫して「テクノロジー」という文脈で音に関する問題解決や機能改善を図ろうとしている。
もちろん、他のメーカーも同様にテクノロジー文脈の問題解決や機能改善を行っている。しかし、Appleはスマートフォン/タブレット/PCのハードウェアとOSを握っているという他社にはない特徴がある。
そのメリットを生かして、Appleが圧倒的に優位に立っているオーディオの表現ジャンルがある。空間オーディオだ。
Apple/Beatsブランドのイヤフォン/ヘッドフォンはもちろん、Mac/iPad/Studio Displayの内蔵スピーカーは、空間オーディオの再現性が優れている。それはAppleの信号処理技術が優れているからという側面もあるが、耳の立体的な形状を計測し、それを立体音響の再現に活用する仕組みをデバイスのOSに統合している点も大きい。
同時に、Appleは音楽や動画の配信サービス“も”握っている。立体音響技術を活用できるコンテンツを積極的に展開し、デバイスやOSの強みを生かせるようにしているのだ。
例えば「Apple Music」では、空間オーディオを採用する楽曲は優先的にプレイリストに組み込んだり、ライセンス料で有利に扱ったりしている。そのため、Apple Musicで楽曲を配信するアーティスト(権利者)は、Dolby Atmosフォーマットでの制作に熱心になる。
従来、音楽を“立体的に”再現することはハードルが高かった。超が付くほど高品質のオーディオソースと録音環境を用意する必要があるからだ。しかし、昨今の空間オーディオ技術はこの課題を技術面で乗り越えている。
細かい物質の違いはあるが、ハードルの高い音場再現を軽くこなしてしまうことで、Apple製オーディオへのイメージが高まる事は言うまでもない。
そもそも、AirPodsシリーズはワイヤレスイヤフォンのジャンルにおいて、圧倒的に高いシェアを誇っている。このジャンルにおいて、決して安価な製品というわけではないのに、だ。なぜそうなったのかは、より深く分析してみる必要があるのではないか?
テクノロジーを活用してオーディオに関連するさまざまな課題解決を目指しているApple。このアプローチは、今後さらにオーディオ業界の“常識”を壊していくだろう。
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